「与謝野晶子」の版間の差分

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大町桂月は「太陽」誌上で論文「詩歌の骨髄」を掲載し「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と晶子を激しく非難したが、鉄幹と[[平出修]]の直談判により、桂月は詩歌も状況によっては国家社会に服すべしとする立場は変えなかったものの晶子に対する「乱臣賊子云々」の語は取り下げられ、論争は収束する。この後大正14年の6月11日、桂月は57歳で病没するが「横浜貿易新報(現在の神奈川新聞)」に晶子は追憶をよせている。
 
この騒動のため晶子は嫌戦の歌人というイメージが強いが、[[日露戦争]]当時「[[幸徳秋水]]の反戦論は大嫌いだ」と公言したこともあった。第一次大戦の折は「戦争」という詩のなかで「いまは戦ふ時である、戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と歌っている。[[満州事変]]勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州事変以降の[[満州国]]成立を容認・擁護し、[[昭和17年]]に発表した「白櫻集」で、以前の歌「君死にたまうなかれ」とは逆に、戦争を鼓舞する歌を作った。反戦家としての立場に一貫性がなかった、あるいは時勢により心情を変化させた転向者と晶子を批判する主張がある。これに対して、「君死にたまうなかれ」はあくまで元は手紙に書き付けた弟への私信であり、当時の女性が家族を戦争に向かわせる辛さを心のままを表した歌であることを評価すべきであるという意見もある。
 
また、[[日露戦争]]当時は「満州事変」後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、[[白鳥省吾]]、[[木下尚江]]、[[中里介山]]、[[大塚楠緒子]]らの戦争を嘆く詩を垣間見ることができ、晶子の詩がそれほど特異だったわけでもない。
 
日露戦争当時に「[[幸徳秋水]]の反戦論は大嫌いだ」と公言したこともあったが、[[大逆事件]]では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なるわが枕辺に白く立つ大逆囚の十二の棺」という歌を1911年3月7日に「東京日日新聞」に発表している。刑死者の一人[[大石誠之助]]は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった[[菅野スガ]]は未決在監中に[[平出修]]弁護士に晶子の歌集の差し入れを頼んでいるが、晶子は直接差し入れなかったことを悔恨して[[小林天眠]]への手紙に残している。
 
1911年には史上初の女性文芸誌『[[青鞜]]』発刊に参加、『[[与謝野晶子#そぞろごと|そぞろごと]]』で賛辞を贈って巻頭を飾り、「新しい女」の一人としても後世に名を残した。
<!--===『君死にたまふことなかれ』は盗作か?===
 
『君死にたもうことなかれ』は、1904年8月7日の『平民新聞』に掲載された[[トルストイ]]の日露戦争論『なんじら、悔いあらためよ』の盗作と指摘されている。『平民新聞』は、”Port Arthur”を『旅順港』とせず、『旅順口』と誤植した。『君死にたもうことなかれ』の詞書『旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて』も同様に、『旅順港』と書くべきを、『旅順口』と書き、『平民新聞』の誤植を、そのまま詞書に用いている。 ←トルストイの非戦論の影響はあると思うが、そもそも元は私信であり、盗作とまで言えるか?
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===評論家===
晶子は日露戦争後から新聞や雑誌に警世のの文を書くようになり、評論活動をはじめる。評論は、女性の自立論と政治評論に分類できる。
晶子の評論は、女性の自立論と政治評論に分類できる。女性の自立論は、女性が自分で自己鍛錬・自己修養し、人格陶冶することを説いた。英米思想的な個人主義である。問題を社会に責任転嫁する、フェミニストの女性論とは全く異なる。
 
晶子の評論は、女性の自立論と政治評論に分類できる。女性の自立論は、女性が自分で自己鍛錬・自己修養し、人格陶冶することを説いた。英米思想的な個人主義である。<!--問題を社会に責任転嫁する、フェミニストの女性論とは全く異なる。-->
 
反良妻賢母主義を危険思想だと見る[[文部省]]は取り締まり強化に対し、妊娠・出産を国庫に補助させようとする[[平塚らいてう]]の唱える[[母性]]中心主義は、形を変えた新たな良妻賢母にすぎないと論評し、平塚らいてう、[[山田わか]]らを相手に母性保護論争を挑んで「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と主張した。ここで論壇に登場した女性解放思想家[[山川菊栄]]は、保護(平塚)か経済的自立(与謝野)かの対立に、婦人運動の歴史的文脈を明らかにし、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと[[社会主義]]の立場で整理した。文部省の意向とは全く違う次元で論争は終始した(現代でも問題になっている[[アグネス論争]]参照)。また、当時『労農主義』として紹介されていた[[マルクス・レーニン主義]]を批判していたことは注目に値する
 
政治評論については夫の選挙後から手を伸ばし始め、反共産主義、反ソ連の立場から論陣を張った。その論文の数は、20本を越える。『君死にたまふことなかれ』を前面に出して一概に反戦・反天皇の人物とすることは、政治的な歪曲であったわけではない。また評論家当時『労農主義』としての晶子に目紹介されていた[[マルクス・レーニン主義]]向け批判していないたことは注目に値する
 
[[シベリア出兵]]を日本の領土的野心を猜疑され日露戦争の[[外債]]による国民生活の疲弊を再び起こす、と反対している。
反良妻賢母主義を危険思想だと見る[[文部省]]は取り締まり強化に対し、妊娠・出産を国庫に補助させようとする[[平塚らいてう]]の唱える[[母性]]中心主義は、形を変えた新たな良妻賢母にすぎないと論評し、平塚らいてう、[[山田わか]]らを相手に母性保護論争を挑んで「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と主張した。ここで論壇に登場した女性解放思想家[[山川菊栄]]は、保護(平塚)か経済的自立(与謝野)かの対立に、婦人運動の歴史的文脈を明らかにし、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと[[社会主義]]の立場で整理した。文部省の意向とは全く違う次元で論争は終始した(現代でも問題になっている[[アグネス論争]]参照)。また、当時『労農主義』として紹介されていた[[マルクス・レーニン主義]]を批判していたことは注目に値する。
 
羽仁もと子による自由学園の開校と前後して文化学院の創立に尽力、文部省の規定に逆らい、男女共学で開校。のち文化学院女学部長。
*[http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person885.html 与謝野 晶子:作家別作品リスト]([[青空文庫]])
* [http://www.j-texts.com/list_write/yagyo.html#よ 与謝野晶子(第1~第26歌集掲載)]([http://www.j-texts.com/ J-TEXTS 日本文学電子図書館])
* [http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kimishinitamou.html 『君死にたもうことなかれ』](新字、新かな)、[http://www3.tokai.or.jp/h773/poem/kimishinitamou.html 『君死にたまふことなかれ』](新字、旧仮名
* 『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3629.html ひらきぶみ]』([[青空文庫]])
* [http://www.indymedia.org.uk/en/2001/03/2145.html UK Indymedia: International Women's Day](冒頭に『そぞろごと』の最初の部分が引用され、英語で読める。''"The day when the mountain will move is coming...."'')
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