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===脱藩から新撰組加入・離脱までの毛内===
[[津軽藩]]脱藩後に移り住んだ江戸では学才を活かし、家庭教師の職をしていた。
*元治元年10月に、[[江戸]]で新撰組に加入([[伊東甲子太郎]]らと同時加入。)後に上洛。
毛内は文学師範、諸士調役、監察など、役付きの隊士として厚遇されている。
 
===御陵衛士と毛内の死===
 
伊東や、三木三郎([[鈴木三樹三郎]])、[[服部武雄]]、[[藤堂平助]]、[[篠原泰之進]]、[[阿部十郎]]らと[[御陵衛士]]を拝命し、分派活動を行う。
([[茨木司]]、[[佐野七五三之助]]、富川十郎、中村五郎らも同時に合流を望んだが、伊東が残留させた。結果は最悪の事態に。)
[[薩摩藩]]が多額の費用を彼らに充てた。しかし、近藤らの襲撃が怖くて、眠りも浅い状態で日々を送っていた。
慶応3年11月18日伊東が暗殺され、藤堂、服部、富山らと現場の油小路に遺体を引き取りにいき、かつての同僚の新撰組に包囲され、斬殺される(富山は生還。)。
 
==関連記事==
*[[新撰組]]
*[[新撰組隊内において粛清された隊士]]
 
 
 
 
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