「ジェルメーヌ・タイユフェール」の版間の差分

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'''ジェルメーヌ・タイユフェール'''('''''Germaine Tailleferre''''', [[1892年]][[4月19日]] - [[1983年]][[11月7日]])は、[[20世紀]][[フランス]]の[[クラシック音楽]]の[[作曲家]]。[[パリ音楽院]]で学んだ後、個人的に[[シャルル・ケクラン]]と[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]に師事。[[エマニュエル・シャブリエ|シャブリエ]]、[[エリック・サティ|サティ]]の影響を受けた快活でさわやかな作品を残す。[[ジャン・コクトー|コクトー]]に「耳の[[マリー・ローランサン]]」と呼ばれた。
 
== 生涯 ==
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後にバートンと結婚した理由を尋ねられて、タイユフェールは「寂しかったから」と答えているが、[[第一次世界大戦]]に前後する時期、タイユフェールは[[ヴァイオリニスト]]の[[ジャック・ティボー]]と愛人関係にあり(《ヴァイオリン・ソナタ 第1番 嬰ハ短調》はティボーに献呈されている)、報われぬ恋に疲れていた。その矢先に、遊び人のバートンに言葉巧みに誘惑されてしまったというのが真相らしい。
 
[[1920年代]]はタイユフェールにとって激動の時期であったが、《ピアノ協奏曲》や《ハープのためのコンチェルティーノ》、バレエ音楽《鳥商人 ''Le Marchand d'Oiseaux''》(スウェーデン・バレエ団のための作品)および《新しきシテール島 ''La Nouvelle Cythère''》([[セルゲイ・ディアギレフ|ディアギレフ]]と[[ロシア・バレエ団]]の依嘱作品)などのいくつかの代表作のほか、先駆的な[[映画音楽]]の作曲も手懸けて、アフリカ音楽を主題に用いるなどの試みもしている。チャップリンは、映画音楽をタイユフェールに書いてもらいたがっていたが、タイユフェールはチャップリンの作曲センスを認めていたので、チャップリンに自分で作曲するように助言した。チャップリン映画の数々の名旋律は、タイユフェールの配慮がなければ後世に残らなかった可能性が高い。
 
[[1930年代]]はいっそう実り豊かであり、《2台のピアノと合唱、サクソフォン、管弦楽のための協奏曲》や《ヴァイオリン協奏曲》、歌劇《ズライナ ''Zoulaïna''》、[[ポール・ヴァレリー]]との共作カンタータ《ナルシスを讃えて》など、野心的な作品が相次いで生み出された。この時期にも一連の映画音楽やドキュメンタリーの付随音楽を手懸けている。