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[[江戸幕府]]は[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]の戦乱で衰退した[[朝廷]]に対しては、[[禁中並公家諸法度]]などで統制する一方、朝廷自体の衰亡は[[征夷大将軍]]があくまでも朝廷に任命されている以上、望ましい状況ではなかった。また、朝廷統制の必要上、朝廷権力を[[摂関家]]に独占させるような体制作りをしたために、そこから排除された公家達から「反幕府感情」が生み出される危惧もあった。そこで本来ならば口減らしのために[[出家]]させるのが通例だった公家の嫡男以外の男子に家禄を授けて新しい家を興させ、こうした公家の不満をそらす一方で公家の減少を防いで朝廷運用に必要な最低限の人員を確保しようとする意図があった。
 
新家のほとんどが[[羽林家]]・[[名家 (公家)|名家]]・[[半家 (公家)|半家]]に属しており、[[公卿]]に昇進しても[[非参議]]に終わるケースが殆どであった。ただし、[[八条宮家]]から[[臣籍降下]]した''広幡家''([[正親町源氏]])と[[一条家]](摂関家)から分家した''醍醐家''は、摂関家に次ぐ[[清華家]]に加えられて後には[[左大臣]]にまで昇進した者もおり、他の新家との待遇の差は歴然としていた。このため、この両家を新家として一括りにしてもいいのかについては疑問視する説もある。