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== 経歴・戦歴 ==
[[1986年]]に高校卒業後、半年間OLを経験した後、[[全日本女子プロレス]]のオーデションを受け合格。同期に[[アジャ・コング]]・[[KAORU_(プロレスラー)|KAORU]]・[[Cooga|神谷美織]]・[[工藤めぐみ]]・[[コンバット豊田]]・高橋美華らがおり、俗に『'''61年組'''』と呼ばれている。
 
社会人と言う事もあり、本来なら当時の全女のオーデションへの受験資格は無かったが、3月生まれで、オーデション開催時はまだ18歳だった為、募集資格の盲点をついた受験であった。
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その後、アジャと組みブル&グリズリーとの獄門党対決を行い勝利するが、これを機に獄門党を離脱し、ヒールながらもソバージュヘアーを振り乱してのケサ斬りチョップでファンの人気も高く、アジャと組み、ブル中野&井上京子との髪切りマッチで負けて坊主になった時にはファンに衝撃を与えた。
 
その後、同期の神谷と高橋と共に『ジャングル・ジャック』を結成し、活躍WWWA世界タッグやオールパシフィック王座に就くものの、[[1991年]]にアジャとのシングルマッチを行い、負傷した事をきっかけに長期欠場した後、引退する。
 
その後、全女が東京ドームで興行を行った際、OGとしてのエキビジションマッチに出場した後、[[ジャガー横田]]・[[ライオネス飛鳥]]と共に『'''雷神隊'''(ライジンーン・アレイ)』を結成し、本格的にカムバックするが、ブランクその他でから試合勘を取り戻せず低迷、不本意な試合内容が多くなってまった(この頃から、全女の経営難は水面下で噴出し始めていた為、本人が望んでも、所属選手以外の選手に対するカードは中々試合が組まれなかった事も要因となっていた)。
 
その後『吉本女子プロレスJd'(現:[[JDスター女子プロレス]])』が旗揚げされるに伴い、全女の了承を得た上で移籍。黎明期にはエースとして活躍するが、エースとしての重圧からか、不本意な試合も多く、これらの理由からの悩みもあり引退を決意する。
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ジャガー相手に引退試合を行う予定だったが、引退直前の試合で負傷し試合が不可能となり、セレモニーのみで引退している(一度目の引退でもセレモニーのみで試合は行っていない)。
 
真面目な性格で練習熱心であったが、それ故に思い詰める事があり、「私が!」といった自己顕示が無かった事がレスラーとしての欠点であった。だが、その真面目さから、人気があった。
 
 
== 得意技 ==