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日本の元号
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改元
1331年5月5日に後醍醐天皇を中心とした倒幕計画が発覚、それに関わった者たちに対する鎌倉幕府による厳しい追及が行われる中、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元するが幕府はこれを認めず「元徳」を使い続けるとともに、光厳天皇を新たな天皇として即位させる。1332年には後醍醐天皇は隠岐への遠流に処されたが、めげることなく「元弘」を使い続け、ついに1333年隠岐を脱出し幕府を滅すにいたる。後醍醐天皇の遠流中に光厳天皇によって定められた年号「正慶」は鎌倉幕府滅亡とともに使われなくなった。
出典
元弘期におきた出来事
グレゴリオ暦との対照表
関連項目
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