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== 概要 ==
[[三浦半島]]はもともと風光明媚で知られるが、本島はそれを凝縮した景観を持つ。その風情ある風景は、[[北原白秋]]をはじめ、多くの著名人、文化人に愛されてきた
その風情ある風景は、[[北原白秋]]をはじめ、多くの著名人、文化人に愛されてきた。
 
対岸の[[三崎港]]は古来から避難港、風待港として天然の良港とされてきたが、それは本島が天然の風よけ、[[防波堤]]となるためである。海食崖に囲まれた断崖の台地であり、展望が良く見張に恰好の場所であるため、東京湾(江戸湾)を出入りする船舶のために江戸時代に灯明台が、[[1870年]]には我が国5番目の西洋式灯台が設置された
海食崖に囲まれた断崖の台地であり、展望が良く見張に恰好の場所であるため、東京湾(江戸湾)を出入りする船舶のために江戸時代に灯明台が、[[1870年]]には我が国5番目の西洋式灯台が設置された。
 
同様の理由から軍事的にも重要視され、幕末には[[砲台]]が築かれている。[[1926年]]には[[東京湾要塞]][[城ヶ島砲台]]が設置された
[[1926年]]には[[東京湾要塞]][[城ヶ島砲台]]が設置された。
 
[[1936年]]には城ヶ島の大火と呼ばれる大火事が発生した。
 
戦後、[[三崎漁港]]の繁栄によって対岸の城ヶ島に拡張用地が求められ、北岸は港湾として整備された。[[1960年]]に[[城ヶ島大橋]]が開通すると、観光地として訪れる人が多くなった。
1960年]]に[[城ヶ島大橋]]が開通すると、観光地として訪れる人が多くなった。
このため、三崎側北岸は漁港施設が多く、ひなびた漁港風景になっている。
 
反面、太平洋側南岸は岩礁地帯が広がり、背後の崖も自然のまま、自動車等の人工物とは縁の無い別世界である。島の南側は魚や鳥の生息地で、[[ウミウ]]、[[ヒメウ]]、[[クロサギ]]は神奈川県の指定[[天然記念物]]となっている。
島の南側は魚や鳥の生息地で、[[ウミウ]]、[[ヒメウ]]、[[クロサギ]]は神奈川県の指定[[天然記念物]]となっている。
 
東京湾入口に位置するため、周辺海域は現在でも多くの船舶が通航する。古くは[[黒船]]、戦時には[[大和 (戦艦) ]]をはじめとする殆どの[[帝国海軍]][[艦船]]が通った航路であり、言わば日本近代史が通った航路であって、現在でも[[横須賀海軍施設|横須賀]]に出入りする米空母が通る時に往時の壮観な光景を偲ぶことができる。
古くは[[黒船]]、戦時には[[大和 (戦艦) ]]をはじめとする殆どの[[帝国海軍]][[艦船]]が通った航路であり、言わば日本近代史が通った航路であって、現在でも[[横須賀]]に出入りする米空母が通る時に往時の壮観な光景を偲ぶことができる。
 
== 地質 ==