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アメリカ先住民の領土
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2006年12月24日 (日) 07:59時点における版

ピクォート族(Pequot)とはアメリカ合衆国コネチカット州アメリカ先住民族の部族の一つ。

アルゴンキン語族に属するネイティブ・アメリカンである、ピクォート族は主にアメリカ東部の森林地帯に定住し森で狩猟したり、川で釣りなどしながら暮らしていた。

ピクォート族のSassacus酋長がピクォート族とモヒカン族を支配していたが、モヒカン族の酋長アンカス(Uncas)がピクォート族に対して反抗したためモヒカン族との関係は悪化した。南方のニアンティックに侵入するた南に行き、ピクォート族は、結局、彼らの領域をコネチカット川にまで拡大していった。

イギリスから来た清教徒の入植者はピクォート族が住む近くに入植してきた。最初は品物交換などしたりして平和に共存していたが、入植者はピクォート族が住むテリトリーにさらに入植していった。そしてピクォート族はナラガンセット湾コネチカット川に追い詰められている事にすぐに気付き、入植者とピクォート族との関係は悪化して行った。

そして1人のイギリス人入植者が殺害された時に、殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくイギリス人入植者だったのに、ピクォート族に殺されたとして一方的に訴えられた時に、ピクォート族の怒りが頂点に達した。1636年に入植者側が殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、翌年の1637年に入植者達はピクォート族と対立するモヒカン族とナラガンセット族の援助を受け、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し村を崩壊させた。これはピクォートの戦いと呼ばれ、600人居たうち、500人のピクォート族が殺された。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。ロングアイランドに逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れたたが、コネチカットのフェアフィールド近くで捕まり、殺されたり、またはニュイングランド西インド諸島奴隷として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたがモホーク族に捕えられて殺された。そしてピクォート族の土地は全てモヒカン族に占領された。

植民地政府は生き残った少ないピクォート族のメンバーをミスティック川沿いに移住させたが、ピクォート族の人口は増えず、20世紀後期には約200人まで減少した。1990年に679人のピクォート族が居て、現在でも南東部のコネチカット州の2ヶ所に居る。コネチカット州のレッドヤード市にMashantucket Pequotと言うカジノを建設したり、ピクォート族の博物館を営んだりしている。