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'''粟谷 菊生'''(あわや きくお、[[1922年]][[10月31日]] - [[2006年]][[10月11日]])はシテ方喜多流の[[能楽師]]。[[重要無形文化財]]各個指定保持者([[人間国宝]])。[[日本芸術院]]会員。社団法人日本能楽会会長。
 
1922年、粟谷益二郎の次男として[[東京都]]で生まれる。兄に粟谷新太郎。弟に粟谷辰三・粟谷幸雄。息子に粟谷明生。父および十五世喜多実・十四世[[喜多六平太]]能心に師事。喜多実の厳正重厚さと六平太の絢爛自在さをあわせもつといわれ、[[羽衣]]・[[安宅]]・[[景清]]など幅広い演目を得意とした。謡の表現力にも定評があり、シテを引退した後も地頭として活躍。[[大阪大学]]に能楽研究会を設立し死去まで30年以上指導を続けるなど能楽の普及にも力を注いだ。[[芸術祭]]奨励賞・芸術祭優秀賞・観世寿夫記念[[法政大学]]能楽賞・[[日本芸術院賞]]受賞。1996年人間国宝、2003年日本芸術院会員。2006年10月11日に心不全のため83歳にて死去。戒名は玄能院妙謡菊生居士
 
歌手の[[ペギー葉山]]は従兄妹。俳優の[[丹波哲郎]]は中学の同級生。