「アンリ・カルティエ=ブレッソン」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]中カルティエ=ブレッソンはフランス軍で勤務した。フランス戦で彼は[[ドイツ軍]]によって捕らえられた。捕虜として2回の逃走の試みが失敗した後3度目に成功し、戦争の終結まで地下活動に従事した。
 
1936年にパリの新聞社に就職を試みて失敗するが、同じ境遇にあった[[ロバート・キャパ]]、[[デヴィッド・シーモア]]とカフェで偶然に出会い、のちの1947年にマグナム・フォトの結成へと結実した。有名誌の依頼は彼に[[ヨーロッパ]]および[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を横断させ、[[インド]]、[[ロシア]]、[[中国]]と世界中を駆けめぐらせた。彼の写真集の多くは50年代から60年代にかけて出版され、最も有名なものは1932-52年に撮影された写真を集成した『決定的瞬間』 ''The Decisive Moment(Image aà la sauvette)(1952)''であった。カルティエ・ブレッソンは決定的な瞬間はこうであると語った。
 
「何分の1秒かでの同時の認識は、出来事の重要性と同様にその形式の正確な構成に適切な表現を与える。...写真術では、最も小さなものが大きな主題でありえます。人間のディテールは[[ライトモティーフ]]になることができます。 」