「大岡忠品」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
add
+
1行目:
'''大岡 忠品'''(おおおか ただしな、[[寛文]]7年([[1667年]]) - [[宝永]]7年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]([[1710年]][[6月24日]]))は[[江戸時代]]の[[旗本]]。[[大岡忠高]]の長男。[[大岡忠相]]の兄。
 
[[寛文]]7年([[1667年]]) 、[[相模国]][[高座郡]]高田村の[[地頭]]・[[大岡忠高]]の長男として生まれる。詳細は不明だが、[[元禄]]6年([[1693年]])、五代[[将軍]]・[[徳川綱吉]]の怒りを買って、忠品は[[伊豆]]・[[八丈島]]へ島流しにされた。3年後の[[元禄]]9年([[1696年]])に許されて復帰。[[元禄]]14年([[1701年]])には父・忠高の遺跡を継いだ。[[宝永]]7年([[1710年]])、44歳で死去。