「高槻藩」の版間の差分

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下総佐倉藩より家信の次男・[[松平康信]]が3万6000石で入るが、[[慶安]]2年([[1649年]])[[丹波国]][[篠山藩]]へ移封と、藩主が短期間で相次いで変わり、藩主家の交替が相次いだ。
 
その後、[[山城国]][[#山城長岡藩 (山城国)|長岡藩]]より[[永井直清]]が3万6000石で入ってようやく藩主が定着し、以後、永井氏13代の支配で[[明治時代]]を迎えた。
 
[[明治]]4年([[1871年]])[[廃藩置県]]により高槻県となり、のち大阪府に編入された。
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#[[内藤信正|信正]](のぶまさ)〔従五位下、紀伊守〕内藤信成の長男。
 
== 山城長岡藩 (山城国) ==
'''山城長岡藩'''('''やましろながおかはん''')は[[江戸時代]]初期、[[山城国]][[乙訓郡]]周辺を領有した[[譜代大名]]の[[藩]]。藩庁として長岡([[京都府]][[長岡京市]])に[[陣屋]]が営まれた。
 
[[寛永]]10年([[1633年]])[[書院番]]で[[上総国]]・[[下総国]]内に8千石を領する[[旗本]]の[[永井直清]]が、旧領地に加え山城国、[[紀伊国]]、[[摂津国]]内に領地を得て、1万2千石の[[大名]]に昇格した。当初、長岡[[勝龍寺城|勝竜寺]]に居所を構え、のち長岡神足寺に移った。昇格と同時に[[書院番頭]]となった。<br>
 
[[寛永]]10年([[1633年]])[[書院番]]で[[上総国]]・[[下総国]]内に8千石を領する[[旗本]]の[[永井直清]]が、旧領地に加え山城国、[[紀伊国]]、[[摂津国]]内に領地を得て、1万2千石の[[大名]]に昇格した。当初、長岡[[勝龍寺城|勝竜寺]]に居所を構え、のち長岡神足寺に移った。昇格と同時に[[書院番頭]]となった。<br>
[[慶安]]2年([[1649年]])2万4千石の加増を受け[[高槻藩]]に転封となったため、当藩は廃藩となった。
 
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