「エリナー・オブ・プロヴァンス」の版間の差分

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南[[フランス]]の[[エクス=アン=プロヴァンス]]出身。[[フランス語]]では'''エレオノール・ド・プロヴァンス'''(Éléonore de Provence)と呼ばれる。
 
[[1236年]]1月14日、ヘンリー王と結婚した。彼女の輿入れには母方の伯父4人が同行して、イングランド宮廷に居座った。そのうちサヴォイア伯トンマーゾ1世の息子ボニファスは[[カンタベリー大司教]]に登用された。ヘンリー3世の[[ポワトゥー]]贔屓(王太后[[イザベラ・オブ・アングレーム]]の縁による)に揺れる宮廷に、王妃は無分別にもサヴォイア贔屓を行い、イングランド人を相手にせず、いたずらに不評を招く結果となった。
 
王との間に育ったのは2男2女である。長男エドワードは次代の王[[エドワード1世_(イングランド王)|エドワード1世]]となる。次男エドマンドはランカスター伯となり、[[シモン・ド・モンフォール]]敗死後、レスター伯、[[ダービー伯爵|ダービー伯]]、[[シャンパーニュ伯]]の称号を得た。エドマンドの曾孫ブランシェは[[ジョン・オブ・ゴーント]]の最初の妻である。長女マーガレットは[[スコットランド]]王[[アレグザンダー3世_(スコットランド王)|アレグザンダー3世]]の王妃となった。
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