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2004年11月10日 (水) 16:53時点における版

技術論論争(ぎじゅつろんろんそう)とは、技術なるものを社会科学あるいは人文科学的にいかに捉えるべきか、いかに分析するべきか、そして生産・消費や労働などと技術がいかに関係するかをめぐって日本で行われた論争である。
この論争は1930年代に唯物論研究会(唯研)での議論を発端として開始されたといえる。この唯研内での戸坂潤、岡邦雄、永田広志、相川春喜らの論争を経た結果として技術を労働手段の体系として捉えるいわゆる「手段体系説」が打ち出された。また、彼らはこの立場から大河内正敏の「科学主義工業」や宮本武之輔の「生産工学」に対して批判を行いながら手段体系説を深化させた。しかし、唯研の弾圧や相川の転向によって、この論争は戦後に至るまで停滞を余儀なくされた。