アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ

ブラジルのサッカー選手

アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ(Augusto Pedro de Sousa, 1968年11月5日 - )は、ブラジルブラジリア連邦直轄区ブラジリア出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー

アウグスト
名前
本名 アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ
Augusto Pedro de Sousa
ラテン文字 AUGUSTO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1968-11-05) 1968年11月5日(55歳)
出身地 ブラジリア
身長 179cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 左足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

11人兄弟の家に生まれ、 17歳でSEガマに入団した[1]。ブラジルでは計7チームを渡り歩いた。5年間在籍したゴイアスECでは、これまでのプレーしてきた中盤からサイドの選手へとコンバートされた[1]。また、日本でもプレーしたバウタザールともプレーし、後の日本移籍へと繋がった[1]コリンチャンス時代にはブラジル全国選手権FIFAクラブ世界選手権の優勝を経験した[1]

そして2001年にはジーコから直接勧誘され、負傷欠場した相馬直樹らの穴を埋める形でセカンドステージより鹿島アントラーズに加入した[1]。デビュー戦となったコンサドーレ札幌戦でいきなり得点を挙げるなど[2]、豊富な運動量を武器とした攻め上がり、フリーキックやヘディングなど超攻撃的な左サイドバックとして活躍、この年のセカンドステージでは、13試合5得点の活躍でステージ優勝に貢献[1]、この年アントラーズを2001年Jリーグ年間王者に導いた。

2003年からは川崎フロンターレに移籍し、3シーズンプレーした。2003年は41試合で17得点を決めた。翌2004年はJ2優勝、J1昇格に大きく貢献した。また試合においての戦う姿勢など、中村憲剛にも大きな影響を与えたという[3]

2005年、家族たっての希望により川崎フロンターレを退団してブラジルに帰国することとなった[4]2006年は故郷のクラブ、ブラジリエンセFCでプレー。

引退後はブラジリアFCの監督を皮切りに、ゴイアスECなど様々なチームを率いている。

所属クラブ 編集

監督歴 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1989 ガマ
1990
1991 ピレス
1992 ゴイアス 19 2
1993 13 0
1994
1995 15 1
1996 24 0
1997 ポルトゥゲーザ
1998 27 1
1999 27 1
1999 コリンチャンス 15 0
2000 ボタフォゴ
2000 アメリカ-MG 20 0
2001 ボタフォゴ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 鹿島 33 J1 13 5 4 0 3 1 20 6
2002 16 29 4 9 1 5 1 43 6
2003 川崎 4 J2 41 17 - 0 0 41 17
2004 31 8 - 0 0 31 8
2005 J1 33 5 5 1 1 0 39 6
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2006 ブラジリエンセ
2007
通算 ブラジル
日本 J1 75 14 18 2 9 2 102 18
日本 J2 72 25 - 0 0 72 25
総通算
その他の公式戦
国際大会

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f アウグスト吠える”. 川崎フロンターレ. 2024年3月26日閲覧。
  2. ^ アウグスト”. Jリーグデータサイト. 2024年3月26日閲覧。
  3. ^ 「あの空気や雰囲気はオシムさんしか…」「ジュニーニョはお世辞にも模範的ではないけど」“魅力的な人物”と出会った中村憲剛のリスペクト”. NUMBER (2024年3月24日). 2024年3月26日閲覧。
  4. ^ アウグスト選手契約終了のお知らせ”. 川崎フロンターレ (2005年12月3日). 2024-3-36閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集