アドルフ・ブロンニャール

アドルフ・テオドール・ブロンニャールAdolphe Théodore Brongniart1801年1月14日 - 1876年2月19日)は、フランス植物学者。古植物学のパイオニアの一人である。

アドルフ・ブロンニャール
Adolphe Brongniart
撮影者、年代不明
人物情報
生誕 Adolphe Théodore Brongniart
(1828-12-08) 1828年12月8日
フランス共和国パリ
死没 (1876-02-19) 1876年2月19日(75歳没)
フランスの旗 フランス共和国・パリ
居住 フランスの旗 フランス
国籍 フランスの旗 フランス
出身校 パリ大学
両親 アレクサンドル・ブロンニャール
子供 エドゥアール=シャルル・ブロンニャール
学問
時代 第一共和政第三共和政
活動地域 フランス
研究分野 植物学古生物学
研究機関 国立自然史博物館
主要な作品 『化石植物の植物誌』
学会 フランス植物学会
バイエルン科学アカデミー
ロシア科学アカデミー
サンクトベテルブルク科学アカデミー
プロイセン科学アカデミー
フランス科学アカデミー
スウェーデン王立科学アカデミー
トリノ科学アカデミー
王立学会 (1852年)
エディンバラ王立協会 (1874年)
主な受賞歴 ウォラストン・メダル
レジオンドヌール勲章
シュヴァリエ
オフィシエ
コマンドゥール
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生涯と業績 編集

パリに生まれた。祖父は建築家のアレクサンドル=テオドール・ブロンニャールであり、父親は地質学者アレクサンドル・ブロンニャールである。1822年から1825年の間、海外を旅し、パリ大学医学植物学を学び、薬草に関する論文、"Mémoire sur la famille des Rhamnées, ou, Histoire naturelle et médicale des genres qui composent ce groupe de plantes"で学位を得た。ソルボンヌの医学校で教師を務め、1833年にパリ植物園の植物学と植物生理学教授となった。1834年にフランス科学アカデミーの会員となり、後年はフランスの科学行政の監査官などを務めた。現存する植物と古代の植物の関係を研究し、「古植物学の父」という評価を得た。

1821年に先史時代の植物の分類の試み、1828年に著作、『化石植物の植物誌序論』を著した。主著は、1828年から1847年までかかって、出版された『化石植物の植物誌』2巻で、各年代の地層に含まれる化石植物について解説した。

1841年にロンドン地質学会からウォラストン・メダルを受賞した。ビクトル・オードワンジャン=バティスト・デュマとともに"Annales des Sciences Naturelles"を創刊し、1854年にフランス植物学会を設立し初代の会長を務めた。

マメ科の属、Brongniartia Kunthやヤシ科の Brongniartikentia Beccなどに献名されている。

参考文献 編集

外部リンク 編集