アレクサンダー・チャールズ・ルーン・ユーン(Alexander Charles Loong "Alex" Yoong、中国名:熊龙1976年7月20日 - )は、マレーシア出身のレーシングドライバー。2001年にマレーシア人としてはじめてのF1世界選手権参戦を果たした。

アレックス・ユーン
基本情報
フルネーム アレクサンダー・チャールズ・ルーン・ユーン
略称表記 YOO
国籍 マレーシアの旗 マレーシア
出身地 同・クアラルンプール
生年月日 (1976-07-20) 1976年7月20日(47歳)
F1での経歴
活動時期 2001 - 2002
所属チーム ミナルディ
出走回数 14
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 2001年イタリアGP
最終戦 2002年日本GP
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プロフィール 編集

デビュー 編集

イギリス人の母と、中国系マレー人である父との間にクアラルンプールで生まれる。1994年にフォーミュラ・アジア・インターナショナルに参戦を開始し、頭角を現した後イギリスに渡る。

イギリス時代 編集

1996 - 1997年に入門カテゴリーフォーミュラ・ルノーに参戦した後、1998年よりイギリス・フォーミュラ3選手権にステップアップ。翌1999年にはイギリスF3選手権とともに国際F3000に参戦。2000年からはチーム・マレーシアから、2001年はチーム・ルマンからフォーミュラ・ニッポンに参戦した。

F1参戦 編集

 
A1GP参戦中のユーン(2006年)

フォーミュラ・ニッポンに参戦していた最中の2001年イタリアGPより、マレーシアの宝くじ会社の支援によって3戦限定ながら、ミナルディチームのレースシートを買いF1デビューを果たす。

マレーシアの国を挙げたサポートを受けたユーンは2002年も引き続きミナルディでのシートを得るが、サバイバルレースとなった開幕戦オーストラリアGPでの7位以降は精彩を欠き、3度の予選落ちを喫した後、「休養」という形で第13戦ハンガリーGP、第14戦ベルギーGPではアンソニー・デビッドソンにシートを譲る。

その後、同じマシンに乗るマーク・ウェバーを上回る結果を見せられなかったことから、2002年シーズン限りでF1のシートを失う。

F1参戦時のカーナンバー
  • 20(2001年第15 - 17戦)
  • 22(2002年第1 - 12, 15 - 17戦)

その後のレース活動 編集

CARTV8スーパーカーに参戦するが、2005年に自らマレーシアチームの所有者兼ドライバー[1]としてA1GPに参戦すると、最終戦の中国グランプリ(上海)で優勝するなどの活躍を見せ、2007 - 2008年シーズンも引き続き参戦を続けていた。また、マレーシアでのスピードカー・シリーズにスポット参戦をした。2008-2009年GP2アジアシリーズにマレーシアのMyチーム・QI-メリタス・マハラより序盤の2戦のみエントリーした。

2018年にはスーパー耐久に参戦するPhoenix Racing Asiaに加入、アウディ・R8でST-Xクラスに参戦した。

経歴年表 編集

  • 1994年 フォーミュラ・アジア・インターナショナル参戦
  • 1995年 フォーミュラ・アジア・インターナショナル参戦
  • 1996年 イギリス・フォーミュラ・ルノー参戦
  • 1997年 イギリス・フォーミュラ・ルノー参戦
  • 1998年 イギリスF3参戦
  • 1999年 イギリスF3参戦、国際F3000参戦、マカオGP7位
  • 2000年 フォーミュラ・ニッポン参戦
  • 2001年 フォーミュラ・ニッポン参戦 第15戦イタリアGPよりF1参戦(チーム:ミナルディ、マシン:PS01B)最高位16位
  • 2002年 F1参戦(チーム:ミナルディ、マシン:PS02)最高位7位
  • 2003年 CART参戦
  • 2004年 V8スーパーカー参戦
  • 2005年-2006年 A1GP参戦(マレーシア・チーム:ユーンとファイルーズ・ファウジー)ユーンの最高位1位、チームランキング5位
  • 2006年-2007年 A1GP参戦(マレーシア・チーム:ユーン単独)最高位1位、チームランキング6位
  • 2007年-2008年 A1GP参戦(マレーシア・チーム:ユーンとファイルーズ・ファウジー)ユーンの最高位4位、チームランキング15位
  • 2008年-2009年 GP2アジアに序盤の2戦のみ参戦。

イギリス・フォーミュラ3選手権 編集

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1997年 ポートマン・レーシング ダラーラ・F397 HKS-三菱 DON1 SIL1 THR1 BRH SIL2 CRO OUL SIL3 PEM1 PEM2 DON2 SNE1 SNE2 SPA
16
SIL4
11
THR2 29位 0
1998年 ダラーラ・F398 ルノー-Sodemo DON1
12
THR1
8
SIL1
6
BRH1
8
BRH2
8
OUL
9
SIL2
11
CRO
Ret
SNE
7
SIL3
6
PEM1 PEM2 DON2 13位 35
アラン・ドッキング・レーシング英語版 無限・MF204 THR2
9
SPA
6
SIL4
Ret
1999年 ダラーラ・F399 DON1 SIL1 THR1
6
BRH1
5
BRH2
2
OUL
6
CRO BRH3 11位 37
グラフ・レーシング 無限・MF204 SIL2
11
SNE PEM1 PEM2 DON2 SPA SIL3 THR2

国際F3000選手権 編集

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1999年 モナコ・モータースポーツ IMO MON CAT MAG SIL A1R
DNQ
HOC
DNQ
HUN
DNQ
SPA
Ret
MNZ
Ret
NC 0

フォーミュラ・ニッポン 編集

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2000年 チーム・マレーシア レイナード・99L 無限・MF308 (東名) SUZ
DNS
MOT
Ret
MIN
Ret
FUJ
9
SUZ
11
SUG
9
MOT
Ret
FUJ
12
MIN
Ret
SUZ
Ret
18位 0
2001年 Team LeMans SUZ
11
MOT
Ret
MIN
7
FUJ
7
SUZ
10
SUG
Ret
FUJ MIN MOT SUZ 16位 0

フォーミュラ1 編集

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
2001年 ミナルディ PS01B ヨーロピアン英語版
コスワース) 3.0 V10
AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN BEL ITA
Ret
USA
Ret
JPN
16
26位 0
2002年 PS02 アジアテックAT02 AUS
7
MAL
Ret
BRA
13
SMR
DNQ
ESP
DNS
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
14
EUR
Ret
GBR
DNQ
FRA
10
GER
DNQ
HUN BEL ITA
13
USA
Ret
JPN
Ret
20位 0

CART 編集

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント Ref
2003年 デイル・コイン・レーシング ローラ・B02/00 フォードコスワース・XFE V8t STP MTY
9
LBH
19
BRH
18
LAU
17
MIL LS POR CLE TOR VAN ROA MDO MTL DEN MIA MXC SRF FON 23位 4 [2]

ル・マン24時間レース 編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
2006年   レーシング・フォー・ホラント   ヤン・ラマース
  ステファン・ヨハンソン
童夢・S101Hb-ジャッド LMP1 182 DNF DNF
2007年   チャロウズ・レーシング・システム   ヤン・チャロウズ
  シュテファン・ミュッケ
ローラ・B07/17-ジャッド LMP1 338 8位 5位

脚注 編集

  1. ^ [1] automoto365
  2. ^ Alex Yoong – 2003 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月15日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集