イドリース1世 (イドリース朝)

イドリース1世(イドリース・ブン・アブド・アッラーフ、? - 793年[1])は、モロッコを支配したイドリース朝の始祖(在位:789年[2][* 1] - 793年[1])で、最後の正統カリフであるアリーの子・ハサンの末裔であった[2][* 2]

イドリース1世
イドリース朝初代君主
イドリース1世の墓所ムーレイ・イドリース・ゼルハウン(en、中央左の緑の屋根の建物)
在位 789年 - 793年

出生 745年
死去 793年
配偶者 イドリース2世
王朝 イドリース朝
父親 アブドゥラー・アル・カーミル
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生涯 編集

イドリース1世は、アッバース朝ハールーン=アッラシードカリフであった786年に、メッカ近郊での正統カリフアリー派の反乱(ファフの戦い)で、反乱軍に参加していた[2]。しかし、この戦いに敗れ、そのため鎮圧されるとイドリース1世はエジプトを経て、当時アッバース朝支配下にあったモロッコへ逃亡し、ワリーラ(ヴォルビリス)に落ち延びた[2]。そこでベルベル人アウラバ族に受け入れられ、789年に宗教的・政治的指導者として認められ、さらに近隣のベルベル人諸部族からも認められて、正式にイドリース朝を建国した[2]

ベルベル人の支持により、中部モロッコのタドラを支配し、さらに790年にはトレムセン地方に進出して勢力を拡大した[2]。そのため793年にハールーン=アッラシードによって送られた刺客により毒殺された[2]。その跡を子のイドリース2世が継いだ[3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ヒッティ (1983)、pp.208-209. では、788年としている。
  2. ^ ハサンの曽孫である(ハーシム家参照)。

出典 編集

  1. ^ a b 『西アジア史 1』 佐藤次高編、山川出版社〈新版世界各国史〉、2002年、付録、索引、p.4
  2. ^ a b c d e f g 私市 (2002)、p.201
  3. ^ 私市 (2002)、pp.201-202.

参考文献 編集

  • 私市正年 著「第3章 西アラブ世界の展開」、佐藤次高編 編『西アジア史 1:アラブ』 第8巻、山川出版社〈新版 世界各国史〉、2002年、186-255頁。ISBN 4-634-41380-9 
  • ヒッティ, フィリップ・K 著、岩永博 訳『アラブの歴史』 下(初版)、講談社講談社学術文庫〉、1983年。ISBN 4-06-158592-4 
先代
イドリース朝
788年 - 791年
次代
イドリース2世