ウィスクブルームWhisk Broom II1907年 - 1928年)とは、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および種牡馬である。1913年に史上初のニューヨークハンデキャップ三冠を達成した。1979年アメリカ競馬殿堂入りを果たした。

ウィスクブルーム
欧字表記 Whisk Broom II
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1907年[1][2]
死没 1928年
Broomstick
Audience
母の父 Sir Dixon
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Sam S. Brown[1][2]
馬主 Harry Payne Whitney [1][2]
調教師 Andrew Jackson Joyner
James G. Rowe, Sr.[1][2]
競走成績
生涯成績 26戦10勝[1][2]
獲得賞金 38,545ドル[1]
(アメリカドル換算)
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経歴 編集

  • 当時はグループ・グレード制未導入。

出生とイギリス時代 編集

サミュエル・S・ブラウンの経営していたセニョリータスタッド牧場(現ケンタッキーホースパーク)で生まれたサラブレッドである[2]。幼駒のときにイギリス調教師であるアンドリュー・ジャクソン・ジョイナーに2500ドルで購入され、その後同額で当時の大馬主ハリー・ペイン・ホイットニーに売却された[1]

ウィスクブルームはジョイナーの厩舎に送られて、イギリスでデビューを果たした。2歳時の1909年から競走を始め、2戦目のプリンスオブウェールズプレート(ヨーク競馬場)で初勝利を挙げた。この年のハイライトは秋のニューマーケット競馬場開催でのミドルパークステークス(芝6ハロン)とデューハーストステークス(芝7ハロン)で、後のエプソムダービー勝ち馬となるレンバーグ相手にクビ差の2着に食い込んだ時であった[3]。この成績から、同年の2歳馬フリーハンデキャップにおいて3位に位置付けられた[4]

翌春3歳シーズンはクレイヴァンステークスから始動してネイルゴウの2着、続く2000ギニーにおいては勝ったネイルゴウとの間にレンバーグを挟む3着に入った。3歳時はこのほかアスコット競馬場トライアルステークス(芝7.5ハロン)で勝利を挙げている[2]

4年間のイギリスの競走において、ウィスクブルームは23戦7勝の戦績を挙げた。特筆する勝鞍に、128ポンド(約58.1キログラム)を背負って優勝した5歳時のヴィクトリアカップハンデキャップ(ハーストパーク・芝7ハロン)がある[2]

アメリカ移籍 編集

ウィスクブルームは6歳のときにアメリカ合衆国に移籍し、ジェームズ・ゴードン・ロウ・シニア調教師のもとに預けられた[1]。この当時アメリカにはウィスクブルームという同名の馬がいたので、同馬はウィスクブルームIIと呼ばれるようになった。

当時のアメリカ東海岸競馬はハート=アグニュー法による馬券発売禁止が解かれたばかりで、5月30日のベルモントパーク競馬場で行われたメトロポリタンハンデキャップ(ダート8ハロン)は解禁後初となる大競走であった。ウィスクブルームはアメリカ初戦となったこの競走で初めてのダートコースを経験し、スタートこそうまくいかなかったものの、直線では先頭を奪い取り、2着メリディアンに1馬身差をつけて1分39秒00のタイムで優勝した[5]

さらにブルックリンハンデキャップ(ベルモントパーク・ダート10ハロン)、サバーバンハンデキャップ(ベルモントパーク・ダート10ハロン)にも優勝。競走の内容も濃く、ブルックリンハンデキャップでは130ポンド(約59キログラム)を積んでのダート10ハロン(約2012メートル)のトラックレコード、サバーバンハンデキャップは139ポンド(約63キログラム)を課せられた上で2分ジャストというアメリカレコードを記録している[6][7][注 1]。この勝利は話題を呼び、ウィスクブルームはアメリカで最も話題に上る馬として知られるようになった[8]

しかし、サバーバンハンデキャップから1か月後、ウィスクブルームはひどい跛行を示したと報じられ、結局それがもとで引退に至った[9]。この年はわずか3戦で引退したが、その快挙が評価され、同年の年度代表馬に選出されている。

引退後 編集

ウィスクブルームは種牡馬となり、現代の重賞に当たる規模の競走勝ちを収める産駒を生涯で26頭送り出した。代表的なものに、ケンタッキーダービーに優勝したウィスクリー(Whiskery 1924年生、牡馬)や、プリークネスステークスに優勝したヴィクトリアン(Victorian 1925年生、牡馬)、1922年の最優秀3歳牡馬に選ばれたウィスカウェイ(Whiskaway 1919年生、牡馬)などがいる。また、母の父としての代表産駒に1930年代のアイドルホース・シービスケットがいる。その父系は後に先細りし、現在ではすでに見ることができない。

1928年に繋養先のホイットニーファームで死亡した。その遺骸は同牧場の墓地に埋葬され、後に父ブルームスティック(1931年没)もその隣に埋葬されている[10]

評価 編集

主な勝鞍 編集

※当時はグレード制・グループ制未導入

1909年(2歳) 5戦1勝
2着 - ミドルパークプレート
1910年(3歳) 7戦2勝
セレクトステークス、トライアルステークス
2着 - ノウズリーディナーステークス
1911年(4歳) 5戦2勝
1912年(5歳) 6戦2勝
ヴィクトリアカップハンデキャップ
1913年(6歳) 3戦3勝
ニューヨークハンデキャップ三冠メトロポリタンハンデキャップブルックリンハンデキャップサバーバンハンデキャップ

年度代表馬 編集

  • 1913年 - アメリカ年度代表馬、最優秀古牡馬

表彰 編集

血統表 編集

ウィスクブルーム血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 エクリプス系
[§ 2]

Broomstick
1901 鹿毛 アメリカ
父の父
Ben Brush
1893 鹿毛 アメリカ
Bramble Bonnie Scotland
Ivy Leaf
Roseville Reform
Albia
父の母
Elf
1893 栗毛 イギリス
Galliard Galopin
Mavis
Sylvabelle Bend Or
Saint Editha

Audience
1901 栗毛 アメリカ
Sir Dixon
1885 青鹿毛 アメリカ
Billet Voltigeur
Calcutta
Jaconet Leamington
Maggie B B
母の母
Sallie Mcclelland
1888 栗毛 アメリカ
Hindoo Virgil
Florence
Red and Blue Alarm
Maggie B B
母系(F-No.) (FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 Maggie B B 母内4x4=12.50%、 Leamington 4x5=9.38%、 Alarm 4x5=9.38%、 Australian 5x5x5=9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ [11], [12]
  2. ^ [12]
  3. ^ [11], [12]
  4. ^ [11], [12]


脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ サバーバンハンデキャップの2分ジャストという記録には疑義が呈されており、他の計測者によれば2分01秒60であったともされる[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Avalyn Hunter. “Whisk Broom II (horse)”. American Classic Pedigrees. 2022年5月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Whisk Broom II (KY)”. National Museum of Racing and Hall of Fame. 2022年5月27日閲覧。
  3. ^ “SPORT AND PASTIME”. Evening Post. (1909年12月18日). http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&cl=search&d=EP19091218.2.137&srpos=11&e=-------10--11----0Lemberg+Whisk+Broom-- 2012年4月24日閲覧。 
  4. ^ “SPORTING”. Star (Canterbury, New Zealand). (1909年12月7日). http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&cl=search&d=TS19091207.2.58&srpos=12&e=01-12-1909-31-12-1909--10--11----2Neil+Gow-- 2012年10月19日閲覧。 
  5. ^ “Whitney's Whisk Broom wins Metropolitan”. Youngstown Vindicator. (1913年5月31日). https://news.google.com/newspapers?id=DSZKAAAAIBAJ&pg=2501,2745415&dq=whisk-broom&hl=en 2012年4月24日閲覧。 
  6. ^ Edward L. Bowen (2003-11-25). Legacies of the Turf: A Century of Great Thoroughbred Breeders. Blood-horse Publications. ISBN 9781581501025. https://books.google.com/books?id=k5tf46yLaxkC&q=%22Whisk+Broom%22+%22Brooklyn+Handicap%22&pg=PA54 2012年4月24日閲覧。 
  7. ^ Richard Stone Reeves, Edward L Bowen (2005). Belmont Park: A Century Of Champions. Blood-horse Publications. ISBN 9781581501223. https://books.google.com/books?id=LhVVOWZ5QR0C&q=%22Whisk+Broom%22+suburban&pg=PA21 2012年4月25日閲覧。 
  8. ^ “"Whisk Broom" is the honored horse”. Telegraph-Herald. (1913年6月29日). https://news.google.com/newspapers?id=6J9dAAAAIBAJ&pg=2534,4585201&dq=whisk-broom&hl=en 2012年4月24日閲覧。 
  9. ^ “Racing Revival on Saratoga Track”. Newburgh Journal. (1913年8月2日). https://news.google.com/newspapers?id=jatGAAAAIBAJ&pg=2458,2966829&dq=whisk-broom&hl=en 2012年4月24日閲覧。 
  10. ^ Lucy Zeh (2000). Etched in Stone : Thoroughbred memorials. ブラッドホース出版局. p. 30-32. ISBN 1-58150-023-8 
  11. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Whisk Broom(USA)”. JBISサーチ. 2022年5月27日閲覧。
  12. ^ a b c d Whisk Broomの血統表”. netkeiba.com. 2022年5月27日閲覧。

外部リンク 編集