ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団

トーンキュンストラー管弦楽団ドイツ語: Tonkünstler-Orchester Niederösterreich)は、ニーダーエースターライヒ州の州都ザンクト・ペルテン及びウィーンを活動拠点とするオーケストラである。正式名称にNiederösterreichとある通り、ニーダーエースターライヒのオケであると明確に名前に刻まれている。ウィーンという呼称をつけて呼ぶのは日本のみである。

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団
基本情報
出身地  オーストリア
ジャンル クラシック音楽
公式サイト ホームページ
ウィーン楽友協会でのトーンキュンストラー管弦楽団
グラーフェネックでのトーンキュンストラー管弦楽団

活動拠点 編集

ウィーン州とニーダーエースターライヒ州を活動拠点としている。ウィーンでは、ウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)でコンサートを行っている。また、楽友協会は、グラス・ホールをリハーサル室に提供している。そして、ニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして、州都ザンクト・ペルテンの「フェストシュピールハウス」を第2の活動拠点としている。2007年夏から「グラフェネッグ国際音楽祭」の音楽祭管弦楽団(レジデント・オーケストラ)として活動している。

沿革 編集

オーケストラの名称の起源は、ハイドンモーツァルトの時代にコンサートを企画していたウィーンの「音楽家協会」(Tonkünstler-Sozietät)である。この名称は、20世紀初頭に設立されたウィーンの音楽家管弦楽団協会(Verein des Tonkünstler-Orchesters)に引き継がれた。第1回目の演奏会は、1907年にウィーン楽友協会で行われ、ゴルトマルクグリーグリストベートーヴェンの作品が演奏された。1913年にはシェーンベルクの「グレの歌」の初演を行った。日曜日の午後に行われる演奏会は、ウィーンの人々には特に親しまれた。第1次世界大戦中、オーケストラは財政難のため、「ウィーン演奏協会(Wiener Konzertverein)」に合併された。1933年まで、協会はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団として演奏会を行っていたが、のちに第2次世界大戦の終了まで「Wiener NS. Tonkünstler-Orchester」「Gau-Sinfonieorchester Niederdonau」と名称を変更し活動を続けることになる。

1946年、ニーダーエースターライヒ州は、州のオーケストラを設立したが、それまでの経緯から「Landessymphonieorchester Niederösterreich」と名付けた。また、日曜日の午後の演奏会も復活させた。2002年、組織改革が行われ、現在は「Tonkünstler-Orchester Niederösterreich」と呼ばれている。

首席指揮者 編集

客演指揮者には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、クレメンス・クラウスパウル・ヒンデミットヤンソンス父子ズービン・メータクリストフ・フォン・ドホナーニハインツ・カール・グルーバージェフリー・テイトらがいる。また、共演したソリストには、ファジル・サイアルテュール・グリュミオーレオニード・コーガンヴォルフガング・シュナイダーハンムスティスラフ・ロストロポーヴィチイザベル・ファン・クーレンハインリヒ・シフアルフレート・ブレンデルルドルフ・ブッフビンダーグリゴリー・ソコロフエディタ・グルベローヴァアグネス・バルツァクリスタ・ルートヴィヒらがいる。

2013年11月6日(現地時間)、当オーケストラの新音楽監督として佐渡裕が就任することが発表された(契約期間は3年間)。2015年9月(2015-16シーズン)より活動開始[2]

レパートリーなど 編集

ハイドンモーツァルトベートーヴェンらの古典派シューベルトブラームスブルックナーマーラーなどのロマン派の音楽は、重要なレパートリーである。また今日では、20世紀の音楽、現代音楽の演奏もよく知られている。

オーストリアのオーケストラの中では、音楽教育のプログラムを一番早く取り入れた。

演奏旅行 編集

21世紀初頭に、イギリスバルト三国への演奏旅行を行った。そして2007年度と2008年度には、ドイツスロベニアチェコハンガリー、およびアジア諸国への演奏旅行も行った。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 上地 隆裕著『世界のオーケストラ(2)上 ~パン・ヨーロピアン 編~』株式会社 芸術現代社、2017年。ISBN 978-4-87463-206-2 

外部リンク 編集