ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ

ブラジルのサッカー選手

ウェズレイ (Uéslei) こと、ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルバ(Uéslei Raimundo Pereira da Silva, 1972年4月19日 - )は、ブラジルバイーア州出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード

ウェズレイ
名前
本名 ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ
Uéslei Raimundo Pereira da Silva
愛称 Pitbull (ピチブー)
ラテン文字 UÉSLEI
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1972-04-19) 1972年4月19日(52歳)
出身地 サルヴァドール
身長 177cm
体重 89kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1985-1992 ブラジルの旗 バイーア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1994 ブラジルの旗 バイーア
1995 ブラジルの旗 フラメンゴ
1995-1996 ブラジルの旗 グアラニ
1996 ブラジルの旗 クルゼイロ
1996-1997 ブラジルの旗 サンパウロ 8 (0)
1997 ブラジルの旗 ヴィトーリア
1998-1999 ブラジルの旗 バイーア
1998-1999 ブラジルの旗 インテルナシオナル (loan) 1 (0)
1999-2000 ブラジルの旗 バイーア (25)
2000-2005 日本の旗 名古屋グランパス 114 (81)
2005 ブラジルの旗 バイーア
2005 ブラジルの旗 アトレチコ-MG 12 (4)
2006-2007 日本の旗 サンフレッチェ広島 (loan) 56 (33)
2008-2009 日本の旗 大分トリニータ (loan) 44 (10)
2010 ブラジルの旗 ヴィトーリア 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年8月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

愛称は“ピチブー”(猛犬の意)[1]。実弟にジョルジーニョ[1]

来歴 編集

1985年にECバイーアの下部組織に入団[2]。1993年、同トップチームでプロ生活をスタート。その後フラメンゴサンパウロなどブラジルのクラブチームを渡り歩く。1998年にバイーアに戻ると才能が開花し、同年カンピオナート・バイアーノMVPおよび得点王、1999年カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB(2部)得点王、2000年には再びカンピオナート・バイアーノMVPと得点王に輝く[2]

2000年のシーズン途中からJリーグ名古屋グランパスエイトへ入団する。ゴールを量産する活躍をみせ、当初はドラガン・ストイコビッチ、後年にはマルケスとの2トップでリーグ屈指の攻撃陣を形成した。2003年にはJリーグ得点王及びベストイレブンに輝き、翌2004年11月にはアルシンドを抜いてJリーグ外国人最多得点記録を更新した。しかし2005年、ネルシーニョ監督と自身の起用法を巡って衝突、その後クラブ批判にも発展し謹慎処分を受ける[3]。結局開幕戦1試合に出場したのみで退団し、ECバイーアへ戻った。

アトレチコ・ミネイロ退団は決まっていたものの移籍先が見つからなかったところにサンフレッチェ広島からのオファーが届き、2006年当初半年間のレンタル移籍という形で加入(のちに契約をシーズン終了までに延長)[4]佐藤寿人と抜群の相性の良い2トップを組み、ゴールを量産。2007年末に広島のJ2降格に伴い、退団した。

2008年、大分トリニータにレンタル移籍。抜群の存在感を見せ、同年のナビスコカップでは決勝で追加点をあげ優勝に貢献[5][6]。このシーズンで現役引退を示唆していたが、大分側からの強い要望により契約を更新[5]。2009年も大分でプレーしたが、年齢から来る衰えに加え、度重なる負傷により、満足にプレーすることは叶わなかった。同年8月3日に、現役引退を表明した[2][6]

2010年1月、引退を事実上撤回し、ブラジルのECヴィトーリアと契約するも同年に退団。

2011年古巣ECバイーアにコーチとして復帰する[7]。2012年現在、バイーア州4部のECジャクイペンセでコーチとして活躍している[8]

人物 編集

現役時代は、ペナルティエリア外からの強烈なミドルシュート、重戦車のようなドリブルからの得点、ヘディング、フリーキックと、さまざまな得点パターンをもつパワフルなストライカーであった[1]

2003年J1得点王以外にもさまざまなJリーグ記録を持っている(いずれも2013年8月現在)。

  • Jリーグ歴代外国人総得点2位(1位はマルキーニョス[9]
  • J1での最多ハットトリック達成回数記録、8回[10]
  • 2007年3月31日、三浦知良中山雅史に次ぐ史上3人目、外国人では初のJ1通算100ゴールを達成[11]。ちなみにリーグ出場148試合目での達成は最速の記録。
  • 2007年6月23日、J1リーグ通算1万2000ゴールを挙げる。[12]
  • 2003年から2009年まで7年連続で開幕戦においては全て得点を挙げている。これもJリーグ記録である。

珍しいエピソードとして、広島在籍時のゴール後のパフォーマンスである“片膝をついて左手で弓を構え、矢を放つしぐさで両手をパーにする”という、通称「弓矢パフォーマンス」というのがある。2006年開幕前に清神社で行われた必勝祈願の際、紹介された「毛利元就の三本の矢」の故事と、奉納された弓矢から思いついたとのこと。当時のチームメイトであった柏木陽介槙野智章平繁龍一が出場した2007 FIFA U-20ワールドカップにおいてU-20日本代表全員でこの弓矢パフォーマンスを行っていた[13][14]。同チームの大会での快進撃も相まって一時話題となった。

ウェズレイの退団後も広島では得点の際に選手が披露したり(2023年現在の所属選手ではピエロス・ソティリウなど)、サポーターとのイベントなどで選手、サポーターが一緒になってしばしばこの弓矢パフォーマンスを披露しており、広島にとってはおなじみのパフォーマンスとなっている。

2016年末にはフェリペ・シウバの広島移籍にも尽力した[15][16]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1993 バイーア
1994
1995
フラメンゴ
グアラニ
1996
クルゼイロ
サンパウロ
1997
ヴィトーリア
1998 バイーア
インテルナシオナル 1 0
1999 バイーア
2000
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 名古屋 8 J1 9 7 4 1 2 1 15 9
2001 11 28 21 6 3 1 0 35 24
2002 10 27 20 3 1 3 3 33 24
2003 27 22 5 2 2 1 34 25
2004 25 10 7 7 1 0 33 17
2005 1 1 - - 1 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2005 バイーア 2部
アトレチコ-MG 12 4
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 広島 10 J1 27 16 4 0 1 0 32 16
2007 29 17 5 2 0 0 34 19
2008 大分 30 7 9 4 0 0 39 11
2009 14 3 3 1 - 17 4
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2010 ヴィトーリア
通算 ブラジル 1部
ブラジル 2部
日本 J1 217 124 46 21 10 5 273 150
総通算

国際試合

その他の公式戦

出場歴・タイトル 編集

個人記録

Jリーグ記録

  • Jリーグ初出場 - 2000年7月22日対ジェフユナイテッド市原戦 (瑞穂陸上競技場)
  • Jリーグ初得点 - 2000年7月26日セレッソ大阪戦 (長居陸上競技場)
  • ハットトリック
    • 4ゴール:2001年7月7日J1・1st第13節対アビスパ福岡戦(博多森)
    • 3ゴール:2001年8月25日J1・2nd第3節対東京ヴェルディ1969戦(瑞穂)
    • 3ゴール:2001年11月17日J1・2nd第14節対ジェフユナイテッド市原戦(瑞穂)
    • 3ゴール:2002年7月13日J1・1st第8節対ジェフユナイテッド市原戦(松本)
    • 4ゴール:2002年8月7日J1・1st第13節対ベガルタ仙台戦(仙台)
    • 3ゴール:2003年11月9日J1・2nd第12節対横浜F・マリノス戦(豊田)
    • 3ゴール:2003年11月22日J1・2nd第14節対浦和レッドダイヤモンズ戦(瑞穂)
    • 3ゴール:2007年5月19日J1第12節対ジェフユナイテッド市原・千葉戦(フクアリ)

脚注 編集

  1. ^ a b c 「猛犬」強烈な得点力”. 中国新聞 (2006年2月6日). 2013年8月14日閲覧。
  2. ^ a b c ウェズレイ選手 現役引退のお知らせ”. 大分トリニータ公式 (2009年8月3日). 2013年8月14日閲覧。
  3. ^ 名古屋FWウェズレイの退団が濃厚に”. ニッカンスポーツ (2005年4月26日). 2005年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  4. ^ ウェズレイと契約延長 来年1月まで”. 中国新聞 (2006年7月12日). 2006年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  5. ^ a b ウェズレイを残留”. 大分合同新聞 (2008年11月4日). 2013年8月14日閲覧。
  6. ^ a b ウェズレイ引退”. 大分合同新聞 (2009年8月4日). 2013年8月14日閲覧。
  7. ^ Ex-jogador, Uéslei volta ao Bahia como treinador da base do clube” (ポルトガル語). esporte.ig.com.br (2011-04 -08). 2013年8月14日閲覧。
  8. ^ 16年ぶりのブラジル 懐かしい顔今も活躍”. 中日スポーツ (2012年6月22日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  9. ^ リーグ戦通算得点ランキング”. Jリーグ公式 (2013年8月10日). 2013年8月14日閲覧。
  10. ^ ハットトリック一覧”. Jリーグ公式 (2013年8月10日). 2013年8月14日閲覧。
  11. ^ ウェズレイ、J1リーグ通算100ゴール達成!”. Jリーグ公式 (2007年3月13日). 2013年8月14日閲覧。
  12. ^ J1リーグ戦 通算12,000ゴール!”. Jリーグ公式 (2007年6月23日). 2013年8月14日閲覧。
  13. ^ フォトニュース”. J's GOAL (2007年7月2日). 2013年8月14日閲覧。
  14. ^ ゴール後パフォーマンスに対するウェズレイ選手(広島)コメント”. J's GOAL (2007年7月10日). 2013年8月14日閲覧。
  15. ^ フェリペ選手 セアラ・スポルティング・クラブ(ブラジル)より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2016年12月25日http://www.sanfrecce.co.jp/news/release/?n=10235&m=12&y=20162016年12月25日閲覧 
  16. ^ sanfrecce_sfcのツイート(812931779635986432)

関連項目 編集

外部リンク 編集