エインズレー・ダンバー

エインズレー・ダンバー[注釈 1] (Aynsley Dunbar1946年1月10日 - )は、イギリス人ドラマー。本名は、エインズレー・トーマス・ダンバー(Aynsley Thomas Dunbar)。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズザ・マザーズ・オブ・インヴェンションジェファーソン・スターシップホワイトスネイクジャーニーなど錚々たるビッグネームのバンドで活躍したベテランである。抜群のリズムキープ力と音数の多さ、相反するヘヴィなヒッティングが特徴。

エインズレー・ダンバー
Aynsley Dunbar
基本情報
出生名 Aynsley Thomas Dunbar
生誕 (1946-01-10) 1946年1月10日(78歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド リヴァプール
ジャンル ジャズブルースブルース・ロックフュージョンロックプログレッシブ・ロック
担当楽器 ドラムス
活動期間 1961年 - 現在
共同作業者 デヴィッド・ボウイ
ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション
UFO
ホワイトスネイク
ジャーニー
ジェファーソン・スターシップ
ルー・リード
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
サミー・ヘイガー
ジェイク・E・リー
ジェフ・ベック
ブラック・サバス
公式サイト www.aynsleydunbar.com

ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において27位。

2017年4月17日、ジャーニーの元メンバーとしてロックの殿堂入りした。

来歴 編集

活動開始 - 1966年 (ジャズ - マージー・ビート系) 編集

イングランド・リヴァプール出身。11歳よりドラムを始めギグを中心にプロとして活動。15歳でレオ・ラザフォード (Leo Rutherford)という伝統的なミシシッピー・ジャズ・バンドに17歳まで加入。1963年8月、リヴァプールにロックの波が押し寄せるとロックR&Bに移行し、デリー・ウィルキー・アンド・プレスマン (Derry Wilkie and the Pressman)に加入。1964年1月には、バンドは解散し4つのバンドからフラミンゴス (Flamingos)が結成され加入。ドイツでの短いツアーの後、フレディー・スター (Freddie Starr)が合流し、フレディー・スター・アンド・フラミンゴスとなる。1964年4月にエクスチェッカーズ (Excheckers)に加入、脱退後、同年12月にはスチュ・ジェームズ&ザ・モジョス (Stu James and the Mojos)に加入し1966年9月まで在籍。

この頃、ジミ・ヘンドリックスのオーディションを受けるが、ダンバーとミッチ・ミッチェルのどちらをメンバーに選ぶか苦慮したヘンドリックスはコイントスを行い、ミッチェルを選んだ[1]

1967年 - 1969年 編集

1967年にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのアルバム『ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界』に参加。これがメジャー・デビューとなった。

その後ヤードバーズを脱退したジェフ・ベックが結成した第一期ジェフ・ベック・グループドラマーとして迎え入れられる。しかしマネージメント・サイドの意向によりポップな路線に導かれている同グループの音楽性に反発し、シングル「Tallyman / Rock My Plimsoul」のレコーディングを後に脱退する。ベックは「ミック[注釈 2]もいいけど、エインズレーほどのドライブ感はないね」とダンバーの脱退を惜しんだ[2]

1968年、自らの音楽を追求するために「エインズレー・ダンバー・リタリエイション」を結成する。リタリエイション名義で4枚、ダンバー個人のソロ名義で1枚[注釈 3][3]のアルバムを発表。どの作品も非常にブルース色の強い名作揃いだが、商業的には成功とは言えず、以降ソロとしての作品は殆ど無い。リタリエイションは1969年10月24日から28日までブリュセルで開催されたアムーギー音楽祭に参加して、24日に出演し、司会を担当したフランク・ザッパ[注釈 4][4]の前で演奏した。それをきっかけに、ダンバーはザッパとジャム・セッションを行なった。

1970年 - 1979年 編集

ザッパは1969年8月にそれまで率いてきたザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(以下、MOI)を解散して、新しいMOIを結成しようとしていた。ザッパはドラマーの経験を持ち[注釈 5]、自分の作品のどれにも複雑なリズムを用いたので、ドラマーに対する彼の要求はたいへん厳しく、彼が雇った歴代のドラマーはみな大変なテクニシャンであったが、ダンバーの力量はまさにザッパのお眼鏡に叶うものであった。ダンバーは1970年2月、ザッパの誘いでアメリカ西海岸に活動拠点を移動し、彼のソロ・アルバム『チャンガの復讐』(1970年)の制作やソロ・コンサートの幾つか[5]に参加した後、同年6月に新しく結成されたMOI[注釈 6]に加入して、1971年12月まで在籍した[6][7][注釈 7]

ザッパとの活動中、ダンバーはザッパやMOIの数多くの作品に携わりつつ、デヴィッド・ボウイルー・リードミック・ロンソンのアルバムにも参加した。

ザッパの元を離れ次に加入したのがジャーニーである。初期の作品の重厚な雰囲気はダンバーによるものが大きい。しかしバンドは大きな成功は得られなかったので、ボーカリストスティーヴ・ペリーを迎えて4枚目の『インフィニティ』でポップな方向へと路線を大きく変更し、それを良しとしなかったダンバーは脱退してしまう。

ジャーニー脱退後はドラムのジョン・バーベイタが自動車事故で活動できなくなったジェファーソン・スターシップに同バンドのベーシストピート・シアーズの紹介で加入する。1979年の初参加作「Freedom at Point Zero」ではダンバーのヘビーなドラムが大きく前面にフィーチャーされている。

1980年以降 編集

1980年代にダンバーが参加した作品で一番有名になったのは1987年に発売されたホワイトスネイクの大ヒット作『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』である。ただしアルバム発売後のツアーには参加していない。

2000年にはUFOに加入するが、アルバム2作に参加した後に脱退[8]ジェイク・E・リーが2005年に発表したカヴァー・アルバム『リトレイスド〜塊顧〜』では、ティム・ボガートと共にリズム・セクションを務めた[9]

エピソード 編集

  • 西海岸に移った際は、しばらくザッパの家に居候をしていた。

使用楽器 編集

ドラムセット 編集

メーカーはDW。1バス・1タム・2フロアのシンプルなセット。

  • バスドラム 22×18
  • スネア 14×6
  • タム 13×9
  • フロア・タム 16×16
  • フロア・タム 18×16

シンバル 編集

メーカーは、ジルジャン

  • ハイハット 14インチ
  • クラッシュ・シンバル Aカスタム(19インチ)×2、Aカスタム(16インチ)×1
  • ライド・シンバル ピン・ライド(20インチ)

スティック 編集

ディスコグラフィ 編集

ソロ・アルバム 編集

  • 『ブルー・ホエール』 - Blue Whale (1971年)
  • Mutiny (2009年)

エインズレー・ダンバー・リタリエイション 編集

  • 『エインズレー・ダンバー・リタリエイション』 - The Aynsley Dunbar Retaliation (1968年)
  • 『ドクター・ダンバーズ・プレスクリプション』 - Doctor Dunbar's Prescription (1969年)
  • 『トゥ・マム・フロム・エインズレー・アンド・ザ・ボーイズ』 - To Mum, From Aynsley & The Boys (1969年)
  • 『リメインズ・トゥ・ビー・ハード』 - Remains To Be Heard (1970年)

参加アルバム 編集

The Mojos
  • Everything's Alright: The Complete Recordings (2009年) ※コンピレーション
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ

エディ・ボイド

  • Eddie Boyd And His Blues Band Featuring Peter Green (1967年)
ドノヴァン
マイケル・チャップマン
  • Rainmaker (1969年)

チャンピオン・ジャック・デュプリー

  • The Heart Of The Blues Is Sound (1969年) (再販後のタイトルは『Home』)
スウィート・ペイン
  • 『スウィート・ペイン』 - Sweet Pain (1969年) ※Junior Dunnという変名で参加
フランク・ザッパ
ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション
フロー&エディー
シュギー・オーティス
ジョン・レノン

Ava Cherry And The Astronettes

  • People From Bad Homes (1973年)
デヴィッド・ボウイ
ルー・リード
キャシー・マクドナルド
  • 『精神病棟』 - Insane Asylum (1974年)
ハービー・マン
ミック・ロンソン
ニルス・ロフグレン
イアン・ハンター
ジャーニー
サミー・ヘイガー
ジェファーソン・スターシップ
ポール・カントナー
ホワイトスネイク
ロニー・モントローズ
トニー・スピナー
  • 『サターン・ブルース』 - Saturn Blues (1993年)
パット・トラヴァース
  • 『ジャスト・ア・タッチ』 - Just A Touch (1993年)
  • 『ブルーズ・マグネット』 - Blues Magnet (1994年)
  • P.T. Power Trio (2003年)

リトル・ジョン・クリズリー

  • 『リトル・ジョン・クリズリー』 - Little John Chrisley (1995年)

マイク・オネスコ & ブラインドサイド・ブルース・バンド

  • To The Station (1996年)
モグ/ウェイ
  • 『エッジ・オヴ・ザ・ワールド』 - Edge Of The World (1997年)
マザーズ・アーミー
  • 『ファイアー・オン・ザ・ムーン』 - Fire On The Moon (1998年)
エリック・バードン & ザ・ニュー・アニマルズ
  • The Official Live Bootleg #1 (2000年)
  • The Official Live Bootleg #2 (2000年)
  • The Official Live Bootleg 2000 (2001年)
UFO
  • 『聖約』 - Covenant (2000年)
  • 『シャークス』 - Sharks (2002年)
マイケル・シェンカー
  • 『アドヴェンチャーズ・オブ・ザ・イマジネーション』 - Adventures of the Imagination (2000年)
  • 『ジ・エンドレス・ジャム』 - The Endless Jam (2004年) ※シェンカー-パティソン・サミット名義
  • The Endless Jam Continues (2005年) ※シェンカー-パティソン・サミット名義
レスリー・ウェスト
  • Blues To Die For (2003年)
  • Got Blooze (2005年)
ジェイク・E・リー
キース・エマーソン
  • Off The Shelf (2006年)

ミッキー・トーマス

  • The Bluesmasters Featuring Mickey Thomas (2010年)

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ Sunday Sounds: Mitch Mitchell's Psychedelic, Jazz-Influenced Playing on Jimi Hendrix's "Purple Haze"”. drummagazine.com (2018年8月26日). 2018年12月30日閲覧。
  2. ^ “Jeff Beck 「Beckology」解説P.24” 
  3. ^ aynsleydunbar.com/disco 2020年4月10日閲覧
  4. ^ Barnes (2011), pp. 113–114.
  5. ^ Ulrich (2018), pp. xxx–xxxi.
  6. ^ Ulrich (2018), pp. xxxi–xxxii.
  7. ^ Ulrich (2020), p. 413.
  8. ^ Ankeny, Jason. “UFO - Biography & History”. AllMusic. 2018年12月30日閲覧。
  9. ^ Jake E. Lee: 'Retraced' Final Track Listing Revealed”. Blabbermouth.net (2005年4月10日). 2018年12月30日閲覧。

注釈 編集

  1. ^ アインズレー・ダンバー」「エインズレイ・ダンバー」の表記もある。
  2. ^ ミック・ウォーラー。ダンバー脱退後に加入したドラマー。
  3. ^ アルバム『ブルー・ホエール』はAynsley Dunbar's Blue Whaleの作品と言われるが、公式ウェブサイトではソロ作品として扱われている。
  4. ^ エインズレー・ダンバー・リタリエイションの他、ピンク・フロイドイエスザ・ナイスキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドなどが出演し、ザッパは進行係(master of ceremonies)を務めた。キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドはザッパがプロデュースしたアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を発表したばかりであった。ザッパとピンク・フロイドがジャム・セッションを行なった映像が存在する。
  5. ^ ザッパは12歳の時にドラムスを始め、17歳の時にギタリストに転向した。
  6. ^ 結成時のメンバーはザッパ(ギター、ボーカル)、ダンバー(ドラムス)、ジョージ・デューク(キーボード、トロンボーン)、イアン・アンダーウッド(キーボード、アルト・サクソフォーン)、ハワード・カイラン(ボーカル)、マーク・ボルマン(ボーカル)、ジェフ・シモンズ(ベース・ギター、ボーカル)。メンバー数人の入れ替わりを経て、1971年12月、ロンドン公演でザッパが重傷を負うまで活動した。
  7. ^ さらにダンバーは、1972年にザッパ名義の『ワカ/ジャワカ』とMOI名義の『グランド・ワズー』の2作のアルバムの制作に参加した後、ザッパと袂を分かった。
  8. ^ MOIの一員として、フィルモア・イーストでのMOIのコンサートのアンコールにゲスト出演したジョン・レノン夫妻と共演した時の音源が収録された。

参考文献 編集

  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6 
  • Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star Books, ISBN 978-1-55420-146-4 

外部リンク 編集