エスペランサ・アギーレ

エスペランサ・アギーレ・イ・ヒル・デ・ビエドマ(ムリーリョ&ブルゴス伯爵夫人, GE英語版DBE, Esperanza Aguirre y Gil de Biedma, スペイン語発音: [espeˈɾanθa aˈɣire], 1952年1月3日 - )は、スペインマドリード出身の政治家国民党 (PP) 所属。

エスペランサ・アギーレ
Esperanza Aguirre y Gil de Biedma
生年月日 (1952-01-03) 1952年1月3日(72歳)
出生地 スペインの旗 スペインマドリード
出身校 マドリード・コンプルテンセ大学
前職 公務員(官僚)
所属政党 リベラル党英語版(-1986)
国民同盟(AP)(1987–1989)
国民党(PP)(1989-)
称号 GE英語版DBE
配偶者 第16代ブルゴス伯爵フェルナンド・ラミーレス・デ・アロ英語版

マドリード 市議会議員
在任期間 1983年 - 1996年

スペインの旗 スペイン政府 教育・文化・スポーツ大臣
在任期間 1996年5月5日 - 1999年1月19日

在任期間 1999年2月9日 - 2002年10月16日

在任期間 2003年10月17日 - 2012年9月17日

在任期間 2004年11月27日 - 2016年2月14日
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1996年から1999年までホセ・マリア・アスナール政権で教育・文化・スポーツ大臣を務め、1999年から2002年までスペイン国会上院議長を務め、2003年から2012年までマドリード州首相を務めた。民主化英語版以後のスペインにおいて、上院議長を務めた初の女性政治家である。

かつて、アギーレはリベラル連合、リベラル党スペイン語版国民同盟(AP)のメンバーであり、1989年からは国民同盟が名を変えた国民党(PP)のメンバーである。政治経歴の早い時期から、アギーレはマドリード・コンプルテンセ大学の経済学教授であるペドロ・シュワルツスペイン語版が主宰したマドリードのリベラル・クラブのメンバーである[1]。アギーレの政治経歴の初期にはシュワルツが重要な役割を果たしたと報じられている。1983年、公務員だったアギーレはシュワルツに説得され、シュワルツのリベラル連合から地方自治体選挙に出馬して女性政治家となった[2]

経歴 編集

初期の経歴(1952-1974) 編集

1952年、アギーレはマドリードの貴族の家庭に生まれた。父親は法曹のホセ・ルイス・アギーレ・ボレル、母親はピエダ・ヒル・デ・ビエドマ・イ・ベガ・デ・セオアネ、母方の祖父は第3代セプルベダ伯爵ホセ・ヒル・デ・ビエドマである。また、アギーレはカタルーニャ人詩人のジャイマ・ジル・デ・ビエドマ英語版の姪にあたる。私立のサンタ・イサベル・デ・アスンシオン・ロイヤルカレッジとブリティッシュ・カウンシル・スクールに通い、1974年にマドリード・コンプルテンセ大学法学の学位を取得した。アギーレは英語フランス語に堪能である。

公務員(1974-1982) 編集

コンプルテンセ大学卒業後、1976年には公務員となった。情報・観光省に公務員として入省して技術部に配属され、やがて広報・観光課長となった。つづいて文化省で様々な仕事をこなし、民主中道連合(UCD)政府時代に何人かの大臣の下で働き、特に首相自身に仕事を指名された。1979年には文学・映画部門長官のチーフスタッフとなり、1980年には文化省技術局の副局長に任命された。1981年には文化省の諮問委員会の副局長に任命された。公務員時代最後の役職は、文化協会の副会長だった。

マドリード市議会議員(1983-1996) 編集

アギーレは小規模なリベラル連合のメンバーであり、現存しない国民連合スペイン語版(CP)からマドリード市議会議員に選出された。1983年から1986年、国民連合のメンバーとしてマドリード市議会議員を務めた。市議会の常任委員会のメンバーであり、文化・教育・青年・スポーツ省の管轄範囲やモンクロア地区における国民連合のスポークスウーマンだった。1984年12月にリベラル連合がリベラル党と合併すると、ホセ・セグラドのリベラル党の全国執行部や政治評議会の様々な役職に就いた。

1987年にリベラル党を離れ、後に国民党(PP)となる国民同盟(AP)に加入した。市議会議員に再選され、1989年まで野党の座にいた。スペイン社会労働党(PSOE)のフアン・バランコ市長を不信任投票で追い出すことに成功し、1977年の民主化後初めて国民党と民主社会中道スペイン語版がマドリードの政権を得ることに成功した。新政府では環境部のトップに任命された。1991年にはホセ・マリーア・アルバレス・デル・マンサーノスペイン語版の下で国民党がマドリード市議会議員選挙に勝利し、アギーレは再び環境部のトップに任命された。2年後には文化部のトップに指名され、スポーツ・教育・衛生の分野を指揮した。1995年にはマドリード市議会国民党会派のスポークスウーマンとなった。

教育・文化・スポーツ大臣(1996-1999) 編集

1996年の総選挙では国民党の全国執行委員会のメンバーに任命された後に、上院議員候補としてマドリード県選挙区から出馬して当選した。この選挙では14年間続いた社会労働党政権から国民党が政権を奪い、ホセ・マリア・アスナールが首相に就任すると、アギーレは教育・文化・スポーツ大臣に指名された。1999年にはマリアーノ・ラホイがアギーレの後任となっている。この時期にはユーモアのセンスが有権者に受けて著名な政治家となった。

上院議長(1999-2002) 編集

1996年から上院議員を務めていたアギーレは、1999年2月に初の女性上院議長に就任した。2000年3月には上院議員に再選されたが、この際には50.7%の155万票を集めて全国最多得票者となった[3]。2003年のマドリード州首相選挙に出馬するため、2002年に上院議長を辞任した。上院議長の座は国民党のフアン・ホセ・ルーカスが引き継いだ。

マドリード州首相(2003-2012) 編集

 
2011年の地方選挙でのアギーレ

2003年5月には地方選挙が行われ、国民党はマドリード州議会の議席数で第一党となる55議席を獲得したが、議会唯一の右派政党だった。左派では社会労働党が47議席を獲得し、統一左翼(IU)が9議席を獲得した。左派政党は計56議席で国民党を上回るため、社会労働党と統一左翼が選挙連合を組んで連立政権を組むことも可能だった。しかし、社会労働党のふたりの議員、エドゥアルド・タマージョ(スペイン語版)とマリーア・テレサ・サエスは首相指名選挙で社会労働党の投票拘束を拒否し、左派2政党による連立政権は不可能となった。多くの左派政治家やいくつかのメディアは、タマージョとサエスのふたりが国民党の大物議員に買収されて党の規律を破ったのではないかと非難した。また、彼らが隠れていたホテルの部屋の代金が、国民党とつながりのある建設業界の実業家によって支払われていたとも非難したが、この事実は証明されていない(詳細はThe 6th term scandalを参照)。これらのスキャンダル後、2003年10月に地方選挙が再実行された。国民党は議会の過半数の議席を獲得し、アギーレはマドリード州首相に就任した。2004年11月27日、アギーレは国民党マドリード州支部長に就任した。

マドリード州首相時代におけるアギーレの最も重要な成果は、診療待ち時間の短縮、病院8施設の新設、州立学校87校の新設(ほとんどがバイリンガル)、教育奨学金の増加、ポスエロ・デ・アラルコンなどの郊外地域へのマドリード地下鉄網の拡大などが挙げられる。

2012年以後 編集

2012年9月17日、健康上の問題を理由にマドリード州首相から退くことを発表し、観光局の職員として働きはじめた[4][5]。2013年1月13日、経営の才能に優れた人材を発掘する民間企業のセーリヘール・イ・コンデは、アギーレを諮問委員会の委員長に任命することを発表した。これは国民党の支部政党のマドリード国民党の代表職と両立できる役職である[6]

2015年の統一地方選挙では国民党からマドリード市長として立候補した。国民党は21議席獲得し第一党の地位を死守したが過半数(29議席)には届かず、中道右派のシウダダノスの7議席と足してもわずかに届かず、ポデモスアオーラ・マドリードの候補マヌエラ・カルメーナ・カストリージョに市長職を譲ることになった(アオーラ・マドリード20議席+PSOE9議席=29議席)。

2020年3月19日、2019新型コロナウイルスの検査で陽性だったことを明らかにした[7]

人物・家族・家系 編集

2004年2月、大英帝国勲章デイム・コマンダーを授けられた。スペイン人女性としてこの栄誉を授与されたのはアギーレが初めてである。2008年11月26日にはインド・ムンバイでテロリストの襲撃に遭い、民間人のひとりとして捕らえられたが、アギーレは無傷で脱出した。

1974年1月1日、アギーレはマドリードで第16代ボルノス伯爵フェルナンド・ラミーレス・デ・アロ英語版グランデ : GE)と結婚した。フェルナンド・ラミーレスは第15代ブルゴス伯爵イグナシオ・ラミーレス・デ・アロ(グランデ : GE)と第4代カーサ・バルデス侯爵夫人ベアトリス・バルデスの息子である。アギーレとフェルナンド・ラミーレスの間には以下の二子がいる。

エスペランサ・アギーレの系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. アグスティン・アギーレ・イ・ルイス
 
 
 
 
 
 
 
8. モイセス・アギーレ・イ・カルボネル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. マヌエラ・カルボネル・イ・ガルシア
 
 
 
 
 
 
 
4. ホセ・ルイス・アギーレ・イ・マルトス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. N.マルトス・ヒメネス・デ・アルバ
 
 
 
 
 
 
 
9. マリアナ・マルトス・イ・オニール
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. ホセファ・オニール・イ・セドレ
 
 
 
 
 
 
 
2. ホセ・ルイス・アギーレ・ボレル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10. フェリクス・ボレル・イ・ビダル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5. エスペランサ・ボレル・イ・ガルシア=ラストラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11. マイア・ガルシア=ラストラ・イ・サインス・デ・ラ・ラストラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1. ボルノス伯爵夫人 エスペランサ・アギーレ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. フランシスコ・ヒル・イ・N.
 
 
 
 
 
 
 
12. フランシスコ・ハビエル・ヒル・イ・ベセリル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. フェリパ・ベセリル・イ・ベセリル
 
 
 
 
 
 
 
6. セプルベダ伯爵ホセ・ヒル・デ・ビエドマ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. フアン・デ・ビエドマ・イ・サン・クリストバル
 
 
 
 
 
 
 
13. イサベル・デ・ビエドマ・イ・オニャテ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. ハコバ・デ・オニャテ・イ・バルカルセル
 
 
 
 
 
 
 
3. ピエダ・ヒル・デ・ビエドマ・イ・ベガ・デ・セオアネ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. ドミンゴ・アントニオ・ベガ・デ・セオアネ・イ・N.
 
 
 
 
 
 
 
14. バルドメーロ・ハシント・ベガ・デ・セオアネ・イ・アンドレア=ペレス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. いさベル・アンドレア=ペレス・イ・アレチェ
 
 
 
 
 
 
 
7. マリア・イサベル・ベガ・デ・セオアネ・イ・エチェバリア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
15. アントニア・エチェバリア・イ・ビアル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

脚注 編集

  1. ^ Ficha Esperanza Aguirre” (スペイン語). ABC (2007年). 2014年10月14日閲覧。
  2. ^ Extract of Aguirre bio by Virginia Drake, Esperanza Aguirre: la presidenta
  3. ^ この得票率記録はいまだに破られていない。2008年スペイン議会総選挙では、国民党のフアン・ホセ・ルーカスが168万票を集めたが、得票率は有効投票数の48.5%だった。
  4. ^ “Aguirre dimite como presidenta del Gobierno de la Comunidad de Madrid”. ABC. (2012年9月17日). http://www.abc.es/20120917/local-madrid/abci-aguirre-dimite-como-presidenta-201209171413.html 2012年9月17日閲覧。 
  5. ^ Esperanza Aguirre deja el gobierno de la Comunidad de Madrid ラ・バングアルディア, 2012年9月17日
  6. ^ Esperanza Aguirre presidirá el consejo asesor de Seeliger y Conde エスパンシオン, 2013年1月14日
  7. ^ Esperanza Aguirre y su marido, ingresados por positivo de Covid-19” (スペイン語). El País (2020年3月19日). 2020年3月19日閲覧。

外部リンク 編集

公職
先代
ヘロニモ・サーベドラスペイン語版
教育大臣として
教育・文化・スポーツ大臣
1996年 - 1999年
次代
マリアーノ・ラホイ
先代
カルメン・アルボルクスペイン語版
文化大臣として
先代
アルベルト・ルイス=ガリャルドンスペイン語版
マドリード州首相
2003年 - 2012年
次代
イグナシオ・ゴンサーレス・ゴンサーレススペイン語版
スペイン上院
先代
フアン・イグナシオ・バレーロスペイン語版
上院議長
1999年 - 2002年
次代
フアン・ホセ・ルーカス
党職
先代
ピオ・ガルシア=エスクデロスペイン語版
マドリード国民党(PP)代表
2004年 - 2016年
次代
クリスティーナ・シフエンテス