カリプソ(Calypso)はジャック=イヴ・クストーが海洋調査に用いた海洋調査船である。

カリプソ
「カリプソ」、ラ・ロシェルにて
基本情報
船種 掃海艇 → 調査船
船籍 イギリスの旗 イギリス
運用者 イギリス海軍
ジャック=イヴ・クストー
建造所 バラード, シアトル, ワシントン州, USA
改名 HMS J-826 (新造時)
BYMS-2026 (1944年)
カリプソ (1947年)
経歴
起工 1941年8月12日
進水 1942年3月21日
最後 1996年に沈没、後に引揚げ
現況 クストー学会によって修復
要目
排水量 360トン
長さ 139フィート (42 m)
25フィート (7.6 m)
喫水 10フィート (3.0 m)
デッキ数 3層
主機関 580馬力ディーゼル機関 2基
速力 10ノット
乗組員 27 in Captain's Quarters, Six Staterooms & Crew Quarters
その他 写真暗室と実験室
海中観測室
ヘリコプター着陸パッド
ユンボ 3トン油圧クレーン
小型潜水艇保管庫
出典:[1]
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カリプソは当初、木製の掃海艇として英国海軍によって米国のワシントン州のBallard Marine Railway Company で建造された。BYMS級掃海艇1941年8月12日に進水、1942年3月21日、BYMS級掃海艇26番艇として艤装された。1943年2月、イギリス海軍で「J-826」として就役、地中海において運用、1947年退役した。その後海洋調査船として改造されその後、退役、1996年に沈没して同年、引き上げられた。2009年に改装された。名前はギリシャ神話のカリュプソーに由来する。

第二次世界大戦 イギリス掃海艇 (1941–1947) 編集

カリプソは木製の掃海艇としてワシントン州シアトルのバラード社でイギリス海軍の掃海艇として建造された。オレゴンの松で出来ている[2]

BYMS級掃海艇として1941年8月12日に船台から出て、1942年3月21日にBYMS-26として進水した。イギリス海軍で1943年2月にHMS J-826として就役して主に地中海で任務に就いた。1944年にBYMS-2026として再分類され1947年にマルタ島で退役した。

マルタから回航 (1947–1950) 編集

第二次世界大戦後、マルタからゴゾ島まで回航され、船名がニンフカリプソに因んで変えられた。

ジャック=イヴ・クストーのカリプソ (1950–1997) 編集

アイルランドの資産家で国会議員のLoel Guinnessが1950年にカリプソを買い取り、クストーに象徴的に1年あたり1フランで貸し出した。クストーは映画撮影と海洋調査の為に修理して調査船であると同時に潜水支援船に改造した。

カリプソは様々な装置が搭載された。クストーが開発したSP-350潜水艇や水中スクーターである。船首には喫水線下3mに観測室を備え、科学装置とヘリコプター降着場所を備えた。カリプソ水中カメラの名前はこの船に因む。

カリプソ 沈没 (1996) とクストーの死 (1997) 編集

1996年、1月8日、シンガポールの港でカリプソにが衝突して沈没した。1月16日230フィートのクレーンで引き上げられ、補修され造船所に送られる前に排水された[3]。 次の年、1997年6月25日ジャック=イヴ・クストーは亡くなった。

復元 (1997–現在) 編集

 
Calypso ラ・ロシェルにて

カリプソはフランスのマルセイユまで曳航され2年間放置された。[2] 1998年にラ・ロシェルの海洋博物館に曳航され、展示された。法律上や他の要因により復元の開始は遅れた。フランシーヌ・クストーが復元を監督した。フランシー・ヌクストー、ジャック・クストーの未亡人と、元の購入者の孫であるLoel Guinnessの間に紛争が生まれた。 ロシェル市長によってこの紛争が発見された時、復元の為の資金の拠出は躊躇われ、不確実なものとなった。市長はその後亡くなり、ルシェル市は復元の費用の拠出を打ち切った。カリプソは破損した状態で残った。[2]

2002年、クストーの最初の結婚の孫娘のアレクサンドラが復元に関わった。クストー学会はまだフランシス・クストーの支配下にあったが千数百ドルがフランシスによって排他的な名前の使用とアレクサンドラがカリプソの修復に参加するのを防ぐ為に費やされたと伝えられる。[4]

2003年、7月にラ・ロシェル海洋博物館の館長のPatrick Schneppが復元の状態に不満を表した。: "なにもかも私を落胆させる、壊れていない物はすべて腐っていて腐っていないものは壊れている。" ガーディアン紙はクストーは船をIle de Réまで曳航してそこで沈める事を想定していたが認められなかったと報告している。[2] 2004年11月30日カリプソはLoel Guinnessによって象徴的に数ユーロでカーニバルクルーズラインへ売却されたと報告された。カーニバル社は1.3百万ドルを修復に投資してバハマ博物館船とする可能性が高い。[5] 2006年末、大半の機材が上部デッキから除去され風雪から守られない。この歴史的な船の行き先は不鮮明だった。

2007年10月11日コンカルノーへの移送が始まった。Piriou造船所で修復され永久展示に向け改造される。[6]

2008年10月4日スイスの時計メーカーのIWC Schaffhausenが売り上げをカリプソの復元に充当する新しい高級クロノグラフを発売した。[7]

2009年にクストー学会はフランシス・クストーが現在ブリタニーのPiriou造船所で復元しているカリプソは"海と海洋の大使"であると報告している。[8] 修復が完了したカリプソは自力航行できる"大使"になるだろう。[9]

フランシス・クストーの不払いによりカリプソの修復作業は2009年2月に止まった。[10]コンカルノーPiriou Naval Servicesは€850 000の債務を負っており、総額€1 737 000が費やされた。現在船は造船所の格納庫に保管されている。

2010年6月、BBCはカリプソはクストーの100歳の誕生日に再進水したと報告した。[11]


出典 編集

  1. ^ Sea Sabres: The Calypso: The stories she could tell!” (2003年7月23日). 2010年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  2. ^ a b c d Henley, Jon (2003年7月28日). “Cousteau family row may sink his ark; Watery grave awaits famous vessel in dispute over its future”. The Guardian. 2018年3月31日閲覧。
  3. ^ Cousteau's Calypso rescued in Singapore”. CNN Newsbriefs (1996年1月25日). 2015年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  4. ^ Flowers, Charles (2003年3月4日). “The Cousteau Wars”. CDNN. 2009年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  5. ^ Cousteau's expedition ship Calypso sold for one euro”. CDNN (2004年11月30日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  6. ^ La Calypso a quitté La Rochelle jeudi matin pour être restaurée à Concarneau”. Le Monde (2007年10月11日).[リンク切れ]
  7. ^ IWC Involved in Protecting The World’s Oceans; Aquatimer Chronograph ’Cousteau Divers’ watch supports conservation efforts”. Middle East Business News (2008年10月4日). 2012年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  8. ^ Calypso Saved!”. Cousteau Society (2009年). 2014年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  9. ^ New Calypso's engines delivered to Francine Cousteau!”. Cousteau Society (2009年2月16日). 2010年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  10. ^ La Calypso de Cousteau dans une mauvaise passe”. Ouest France (2010年2月2日). 2018年3月31日閲覧。
  11. ^ Jacques Cousteau's ship Calypso is to be re-launched”. BBC News (2010年6月8日). 2018年3月31日閲覧。

参考 編集

外部リンク 編集