ギャリソン・キャップ(Garrison cap)は、帽子の一種である。ギャリソンとは駐屯地の意。サイド・キャップ(Side cap)、舟形帽などとも呼ぶ。

ギャリソンキャップをかぶる英王立空軍ジョック・スターラップ大将(左)と米空軍ウィリアム・フレイザー英語版中将(右)(2005年撮影)

概要 編集

ギャリソン・キャップの起源には諸説ある。一つは、スコットランドグレンガリー帽(glengarry cap)から派生したものであるとする説、もう一つは、1800年ごろからイギリスフランス陸軍ユサールが略帽として被っていた「ボネ・ド・ポリス」(Bonnet de police)と呼ばれるフェズ帽ないしナイトキャップのような帽子から派生したとする説[1]、そしてオーストリア・ハンガリー帝国山岳猟兵が被っていた帽子を簡略化させたとする説である。

このいずれか、もしくは相互の要素を受け継ぐ形で19世紀末に英国陸軍に「トリン・キャップ」と呼ばれる帽子が導入された[1]。これが現在のギャリソン・キャップの始まりである。

正面から見ると二等辺三角形ないし山形、上下からは紡錘形に見える独特の形をしている。折り畳んでベルト肩章などに挟めるため携帯しやすく、第一次世界大戦以降、軍隊等の制帽の一つとして用いられている。この場合、用途により「野戦帽」「戦闘帽」などの呼称も用いられる。パイピングの色で階級兵科を示す場合もある。

各国への影響 編集

 
ソ連軍の略帽:ピロートカ、正面と横向き

ギャリソンキャップはその使いやすさから全世界に広まり、それぞれの風土に合わせ、また現地の民族帽と結びつくなどして多種多様な変化がなされた。

イギリスでは、オーストリア・ハンガリー帝国の山岳帽のように耳当てとなる部分を正面のボタンで止めるスタイルへと変わった。いつ頃そうなったのかは不明だが、第二次ボーア戦争中にヨーマン帝国義勇騎兵連隊英語版プリンス・オブ・ウェールズの羽根をあしらったボタンを付けている姿が確認できる[1]。これは植民地のみならずオーストリア・ハンガリー帝国やパン・ゲルマン主義に接近した中東欧諸国の間にも逆輸入され、コカルデや羽飾りなど独自の装飾をあしらい幅広く採用された。中でも珍しいケースとしては、ハンガリー王国軍はギャリソンキャップを制帽として採用した。

一方、ロシアでも第1次世界大戦前の1913年に航空兵向けに採用されたもの[2]を1941年にソ連が復活させた。「ピロートカ」の名はパイロットに由来する。耳当ての中央に赤い星をあしらったシンプルなデザインである。こちらは大祖国戦争の間に歩兵向けに導入され、戦後は東側諸国の間に広まったが、装飾を好んだ中東欧諸国とは対照的に共産主義的観点から大きな差はない。

アメリカでは、第一次世界大戦時のアメリカ外征軍にてオーバーシーズ・キャップ(Overseas cap, 海外帽)としてヨーロッパ製のギャリソンキャップが採用されたのが始まりとされる。1941年にはギャリソンキャップとして制式化され、官帽型のサービス・キャップに代わって制帽として支給されるようになった[3]。その後、海軍・空軍・海兵隊の略帽に採用された。そのため、アメリカ式装備の軍隊ではとりわけ空軍にギャリソンキャップを採用している国が多い。

日本では、昭和初期に略帽として導入が検討されていたが最終的に戦闘帽が導入された。現在は航空自衛隊が略帽として採用している。色はジャケットと同じ濃紺で、曹士幹部でパイピングの色が異なる。

その他、ボーイスカウト団員などが被ることもある。アメリカでは退役軍人の制帽として知られる(公的行事では最後に所属した部隊・軍艦のネーム入りのものを被る。名誉勲章受章者はこれに加えて同章を胸に着ける)。

ギャラリー 編集

アメリカ 編集

イギリス・英連邦 編集

フランス 編集

ドイツ 編集

その他ヨーロッパ 編集

南米 編集

アジア 編集

警察・軍隊以外における使用例 編集

脚注 編集

関連項目 編集