ギレアド(Gilead、ヘブライ語: גִּלְעָדGīləʿāḏ ギルアドアラビア語: جلعادǦalʻād ジャルアード)はヨルダン川東の山地の名称である。

ギレアドの丘

文語訳聖書口語訳聖書ではギレアデ、新共同訳聖書ではギレアド、聖書協会共同訳聖書ではギルアドとする。

語源 編集

  • 創世記31章48節によれば、ラバンヤコブが契約を結んだ証拠(エド)として、立てられた石塚(ガル)から、ガルエド(ヘブライ語: גלעדgal‛êd)と言ったことに由来している。
  • 荒々しい岩山によって成っているので、「固い」ことを表すアラビア語の(Ja'ad)に由来しているという説もある[要出典]

聖書 編集

広義のギレアドは、南のアルノン川以北、北のヤルムク川以南の領域であり、イスラエル人が住んでいたヨルダン川東側全域をさし、マナセ族(の内のヨルダン東の半部族)、ガド族ルベン族に割り当てられた。聖書はこの3部族をギレアド人(ギレアドびと)と総称している(聖書学者はこの3部族をギレアド部族とよび、聖書の「ギレアド人」は3部族が王国時代を通じて徐々に混淆してできた人々と考えている)。かつてマナセの半部族、またガド族とルベン族が、「ここは放牧に適しているので、私たちに割り当て地をして与えてください」と モーセ に頼んだ地域である [1]

広義のギレアドは、高原・狭義のギレアド・バシャンヤボク川から北の地)の三つの領域に区分され、そのうちの狭義のギレアド(首都はラバ(Rabbah))はダビデアモン人を征服して以来イスラエル領として留まったが、高原とバシャンは、激しい争奪戦を繰り返した。

サウルが王に即位して最初の仕事は、ヤベシュ・ギルアデアモン人ナハシュの手からすくい出すことであった。後にダビデは息子アブシャロムによる謀反の際、ギレアドに逃れて、エフライムの森英語版の決戦(The Battle of Ephraim Wood)で勝利し、王宮に帰還することになった。

ミカ書 7:14では、ギレアドと共に登場する。

脚注 編集

関連項目 編集

参考文献 編集