サム・レイシー

アメリカのバスケットボール選手 (1948-2014)

サム・レイシー(Sam Lacey, 1948年3月28日 - 2014年3月14日[1])は、アメリカ合衆国のプロリーグNBAカンザスシティ・キングスで活躍したアフリカ系アメリカ人の元バスケットボール選手。ミシシッピ州インディアナノーラ出身、ニューメキシコ州立大学卒業。身長208cm、体重106kg。ポジションはセンター1970年の入団以来シンシナティ・ロイヤルズ、カンザスシティ=オマハ・キングス、カンザスシティ・キングスと名を変えていった現サクラメント・キングスにて、インサイドの柱として11年間プレイした。背番号「44」はキングスの永久欠番となっている。

サム・レイシー
Sam Lacey
引退
ポジション C
基本情報
愛称 Slammin' Sam
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1948年3月28日
出身地 ミシシッピ州インディアノーラ
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 106kg (234 lb)
キャリア情報
出身 ニューメキシコ州立大学
ドラフト 1970年 5位
選手経歴
1970-1981

1981-1982
1982-1983
シンシナティ・ロイヤルズ/カンザスシティ=オマハ/カンザスシティ・キングス
ニュージャージー・ネッツ
クリーブランド・キャバリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

来歴 編集

ニューメキシコ州立大時代に平均16.2得点14.2リバウンドの成績を残したレイシーは1970年のNBAドラフトで全体5位指名を受けてシンシナティ・ロイヤルズに入団。1年目から13.5得点11.3リバウンドのダブル・ダブルの成績を記録し、以後も毎シーズン安定した成績を残し、この時代のキングスのエースであるネイト・アーチボルドと共にチームを支えた。全盛期はカンザスシティ=オマハ時代に訪れ、1973-74シーズンにはキャリアハイとなる平均14.2得点、翌1974-75シーズンにはリーグ3位となる平均14.3リバウンド、センターとしては高水準となる平均5.3アシストを記録して初のオールスターに選ばれ、また長く低迷していたキングスも8シーズンぶりに(レイシーにとっては初の)プレーオフに進出している。またNBAは1973-74シーズンから試合でのブロックショットとスティールの数を公式に計測を始めたが、レイシーは史上5人しか居ない7シーズン連続100ブロック100スティール以上を達成した選手となった(他はアキーム・オラジュワンジュリアス・アービングデビッド・ロビンソンベン・ウォーレス)。その後1981-82シーズン序盤にマイク・ウッドソンとの交換でニュージャージー・ネッツにトレードされ、11年間過ごしたキングスから去ることになった。翌1982-83シーズンクリーブランド・キャバリアーズでプレイし、このシーズンを最後に現役から引退した。

2014年3月19日に死去した[2]。66歳没。

成績 編集

脚注・出典 編集

注釈 編集

出典 編集

外部リンク 編集