シクステン・エールリンク

シクステン・エールリンク(Sixten Ehrling、1918年4月3日 - 2005年2月13日)はスウェーデン指揮者[1]

シクステン・エールリンク
Sixten Ehrling
基本情報
生誕 1918年4月3日
 スウェーデン
マルメヒュース県 マルメ
死没 (2005-02-13) 2005年2月13日(86歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

マルメ銀行家の家に生まれた。18歳のときにストックホルムの王立音楽院に進学し、ヴァイオリンピアノ及びオルガンを学び、指揮法も習得した。第二次世界大戦期にはカール・ベームアルベール・ヴォルフらのもとで研鑽を積んだ。

1950年ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会でストラヴィンスキーの《春の祭典》を指揮して公式デビューを果たし、1953年から1960年までスウェーデン王立歌劇場の音楽監督となり、ユッシ・ビョルリングビルギット・ニルソンらと親交を結んだ。エールリンク在任中には、ブロムダールの《アニアラ》などが初演されている。

1963年には、アメリカに渡り、ポール・パレーの後任として、デトロイト交響楽団の首席指揮者に就任し、ルチアーノ・ベリオをレジデンス・コンポーザーに据えた。1973年にその任を勇退してからは、ジュリアード音楽院で指導に当たり、チョン・ミョンフンらを育てている。2005年ニューヨークにて他界。

脚注 編集

  1. ^ [1]