シャルル (プロヴァンス王)
プロヴァンス王シャルル(Charles, 845年 - 863年1月24日)は、中部フランク王国が分割されて成立したプロヴァンスの王(在位:855年 - 863年)。中部フランク王ロタール1世とトゥール伯ユーグの娘エルマンガルドの間の三男である。
シャルル Charles | |
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プロヴァンス国王 | |
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在位 | 855年 - 863年 |
出生 |
845年 |
死去 |
863年1月24日 プロヴァンス王国、リヨン、サン=ピエール=ノナン修道院 |
家名 | カロリング家 |
王朝 | カロリング朝 |
父親 | ロタール1世 |
母親 | エルマンガルド・ド・トゥール |
宗教 | カトリック教会 |
生涯 編集
855年、父ロタール1世の死によりその遺領は三子の間で分割相続され、シャルルは南部ブルグントとプロヴァンスを継承した[1]。しかし病弱で、義叔父のヴィエンヌ伯ジェラール2世(母の姉妹と結婚)が摂政として実際の統治を行い、プロヴァンスに攻めてきたノルマン人を撃退している[2][3]。
863年、後継者なく死去。その遺領は二人の兄、皇帝ロドヴィコ2世とロタリンギア王ロタール2世との間で分割され、ヴィエンヌ、リヨン、グルノーブル司教管区はロタール2世が、アルル、エクス、アンブラン司教管区およびプロヴァンス王位はロドヴィコ2世が継承した[1][3]。
脚注 編集
参考文献 編集
- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
- 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史1』 山川出版社、1995年
- 根津由喜夫『二人のビザンツ皇女の運命―「ジラール・ド・ルシヨン」を読み解く―』金沢大学文学部論集、史学・考古学・地理学篇、2007年、27:p.161-202[1]
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