ショウほど素敵な商売はない

ショウほど素敵な商売はない』(ショウほどすてきなしょうばいはない、There's No Business Like Show Business)は1954年アメリカ合衆国ミュージカル映画。監督はウォルター・ラング、出演はエセル・マーマンマリリン・モンローなど。

ショウほど素敵な商売はない
There's No Business Like Show Business
監督 ウォルター・ラング
脚本 ヘンリー・エフロン英語版
フィービー・エフロン英語版
原案 ラマー・トロッティ
製作 ソル・C・シーゲル
製作総指揮 ダリル・F・ザナック
出演者 エセル・マーマン
ドナルド・オコナー
マリリン・モンロー
音楽 アーヴィング・バーリン
アルフレッド・ニューマン
ライオネル・ニューマン
撮影 レオン・シャムロイ
編集 ロバート・L・シンプソン
製作会社 20世紀フォックス
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国の旗 1954年12月16日
日本の旗 1955年4月22日
上映時間 117分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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ミュージカル『アニーよ銃をとれ』のために書かれたアーヴィング・バーリンの歌「ショウほど素敵な商売はない」の曲名をそのままタイトルにしている。

ストーリー 編集

1930年代のアメリカ。テレンスとモリーの夫婦に、その3人の子供たちを加えた家族5人でボードビリアンとして活動している「ドナヒュー一家」は人気のショーグループ。ある日、長男スティーヴが芸人を辞めて神父になると言い出す。手塩にかけて一流の芸人に育て上げた両親はショックを受けるがスティーヴの意思を尊重して認める。一方、末っ子の次男ティムはやんちゃなプレイボーイで何かと両親を心配させているが、そんなティムは、あるナイトクラブで受付のアルバイトをしながら歌手としてステージに立つヴィッキーと出会い、一目惚れする。

興行主に認められたヴィッキーはブロードウェイの舞台に立つことになる。そしてティムとその姉ケイティはコンビでヴィッキーと共演することになる。そのころには付き合うようになっていたティムとヴィッキーだったが、2人の関係よりも自分の仕事を優先するヴィッキーにティムは不満を抱く。そんなティムにヴィッキーは、15歳から1人で頑張って来た自分に比べ、生まれたときから両親の庇護の下で活動していたティムには甘えがあると指摘する。やけになったティムは事故を起こして入院、ブロードウェイでの舞台初日に出られなくなる。そんなティムの無責任さを父テレンスが厳しく叱責すると、ティムは詫び状を残して姿を消す。舞台はティムの代役を母モリーが務め、大成功を収める。

姿を消したティムを家族は必死に探すものの、その行方はようとして知れない。そんな中、テレンスは自分の芸にも自信を失い、ティムを探す旅に出る。

俳優基金慈善公演当日の夜。ティムが姿を消したのはヴィッキーのせいだと思い込んでいたモリーに、娘ケイティはヴィッキーに非がなく、ティムの問題であることを説明し、モリーとヴィッキーの仲を取り持つ。ショーが始まり、ステージに立つモリーを舞台の袖からケイティとスティーヴが見守る。そこにティムが現れる。再会を喜ぶ家族。ティムは自分の甘えを自覚し、1人で活動していたのだ。そこにテレンスも現れ、久しぶりに一家5人で舞台に立つことになる。そこにヴィッキーも加わり、6人で「ショウほど素敵な商売はない」を歌い上げる。

キャスト 編集

日本語吹き替え 編集

役名 俳優 日本語吹き替え
(追加収録担当)
モリー・ドナヒュー エセル・マーマン 寺島信子
渡辺美佐
ティム・ドナヒュー ドナルド・オコナー 柳澤真一
多田野曜平
ヴィッキー・パーカー マリリン・モンロー 向井真理子
テレンス・ドナヒュー ダン・デイリー英語版 穂積隆信
小島敏彦
スティーヴ・ドナヒュー ジョニー・レイ英語版
清水裕亮
ケイティ・ドナヒュー ミッツィ・ゲイナー 天地総子
折笠愛
ルー・ハリス リチャード・イースタム英語版 真木恭介
チャールズ・ギブス ヒュー・オブライエン 羽佐間道夫
  • 日本語吹き替え:過去に地上波放送された際に製作されたもの。初回放送1968年10月10日 NET『2時の映画招待席』
2017年1月18日にWOWOWでカット部分を追加録音した吹替補完版が放送。その際、故人等の各声優の部分は別の声優が代役を務めている[1]

トリビア 編集

マリリン・モンローは本作への出演を条件に『七年目の浮気』の主演を手に入れた[2]。モンローが演じたヴィッキーは客寄せ目的でのモンロー起用を前提に作られたキャラクターである[2]

ドナルド・オコナーと別居中だった妻で女優のグウェン・カーターは、本作の撮影中にオコナーの父を演じたダン・デイリー英語版と交際し、撮影終了後にオコナーと正式に離婚すると、すぐにデイリーと再婚した[2]

撮影期間は1954年5月29日から同年7月8日まで[3]

出典 編集

外部リンク 編集