ジェリー・ラゴヴォイ
ジョーダン・"ジェリー"・ラゴヴォイ(Jordan "Jerry" Ragovoy、1930年9月4日 - 2011年7月13日[1][2])は、アメリカ合衆国のソングライター、音楽プロデューサー。
ラゴヴォイの作品で最も知られているのは、ノーマン・ミード(Norman Meade)という筆名で発表した「タイム・イズ・オン・マイ・サイド 」で、もともとはカイ・ウィンディングや、ソウル歌手のアーマ・トーマスがレコード化していたが、ローリング・ストーンズが取り上げたことで有名になった。ラゴヴォイはまた、「ステイ・ウィズ・ミー (Stay with Me)」の作者でもあるが、オリジナルをロレーン・エリソン(Lorraine Ellison)がレコーディングしたこの曲は、2007年の第49回グラミー賞の授賞式でメアリー・J. ブライジによって(メドレーに組み込まれて)歌われた。
ラゴヴォイは、東海岸のソウルミュージックを陰で支えた重要な人物であり、1960年代においてニューヨークやフィラデルフィアから生まれたソウルの古典的名作とされるレコードに関わって、しばしばゴスペル的な感覚のある曲を、単独ないし共作で書いていた[3]。代表的作品としては、ガーネット・ミムズの「クライ・ベイビー」、アーマ・フランクリンの「心のかけら (Piece of My Heart)」、ハワード・テイトの「愛は生きているうちに (Get It While You Can)」といった、後にジャニス・ジョプリンがカバーした曲や、上述の「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、「ステイ・ウィズ・ミー」がある[3]。 ラゴヴォイはまた、一流のソウルのレコードに、プロデューサーや編曲者としても関わった[3]。
経歴 編集
ラゴヴォイは、ペンシルベニア州フィラデルフィアで、ハンガリー出身のユダヤ人検眼士の息子として生まれた[4]。 ラゴヴォイがレコード制作の関わるようになったのは、ザ・キャステラーズ(The Castelles)の1953年の曲「My Girl Awaits Me」が最初だった。
ラゴヴォイは、ファビアンやフランキー・アヴァロンのヒットを出していたフィラデルフィアのチャンセラー・レコード(Chancellor Records)で働き、1962年にBillboard Hot 100の22位まで上昇した The Majors の「A Wonderful Dream」を書いた[3]。このころから、ラゴヴォイは、もうひとりの白人ソウル・ソングライター/プロデューサー、バート・バーンズ(Bert Berns)との共作も始めており、1963年にBillboard Hot 100の4位まで上昇したガーネット・ミムズ・アンド・ジ・エンチャンターズの「クライ・ベイビー」も、この2人の共作であった[3]。
やはりバーンズとの共作である、有名な「心のかけら」は、最初はアーマ・フランクリンによってレコード化されたが、後に、ジャニス・ジョプリンとビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)による有名なカバーが出た。1966年から1968年までの間、ラゴヴォイは、音楽プロデューサー兼ソングライターとしてワーナー・ブラザース・レコード傘下のロマ・レコード(Loma Records)で働いた。ジャニス・ジョプリンが取り上げたラゴヴォイの曲はほかにも、もともとロマ・レコードからロレーン・エリソンが出した「Try (Just a Little Bit Harder)」、上述の「クライ・ベイビー」、「愛は生きているうちに」、そして「My Baby」がある。ジョプリンが死ぬ前に、ラゴヴォイは、ジョプリンの次のアルバムのために「I'm Gonna Rock My Way to Heaven」(天国までロックし続けていく、の意)を用意していた。この曲はラゴヴォイが2011年7月に亡くなる直前まで録音されることも演奏されることもなかったが、ジョプリンを取り上げたミュージカル『One Night with Janis Joplin』(作・演出:Randy Johnson、編曲・音楽監督:Len Rhodes)の中に取り上げられ、演奏された。2011年5月27日にオレゴン州ポートランドのポートランド・センター・ステージ(Portland Center Stage)でこの作品がプレミア公開初日を迎えたときには、ラゴヴォイも客席にいた。
ラゴヴォイは、ボニー・レイットやミルクウッド(Milkwood)のプロデュースも手がけていた[3]。しかし、音楽産業へのラゴヴォイの貢献は、1970年代以降は縮小していった[3]。
1973年、ラゴヴォイは、ミュージカル『ほっといてくれ、僕は知らない』からのアルバムで、第15回グラミー賞においてオリジナル・キャスト・ショー・アルバム作曲賞をプロデューサーとして獲得した。
2003年、ラゴヴォイは、再びハワード・テイトと組み、作・編曲、プロデュースを担当して、CD『Howard Tate Rediscovered』をリリースした[5]。
2008年には、英国のエース・レコードが、『The Jerry Ragovoy Story: Time Is on My Side』と題して、ラゴヴォイ作品のコンピレーション・アルバムを出した。
代表作 編集
出典・脚注 編集
- ^ Music.aol.com
- ^ a b c Thedeadrockstarsclub.com
- ^ a b c d e f g Allmusic.com biography by Richie Unterberger
- ^ Laing, Dave (2011年7月20日). “Jerry Ragovoy obituary”. The Guardian 2011年7月20日閲覧。
- ^ Rollingstone.com
- ^ Secondhandsongs.com