ジェールETO FCハンガリー語: Győri Egyetértés Torna Osztály Football Club)は、ハンガリージェールにホームを置くサッカークラブである。2023-24シーズンはネムゼティ・バイノクシャーグII(2部)に所属。ハンガリー国内リーグで3回優勝、1964-65シーズンのヨーロピアンカップで準決勝に進出した。

ETO FC ジェール
原語表記 Egyetértés Torna Osztály Futball Club, Győr
クラブカラー
創設年 1904年
所属リーグ NB II
所属ディビジョン 2部
ホームタウン ジェール
ホームスタジアム
ETOパーク
収容人数 15,600
代表者 ハンガリーの旗 タルショイ・チャバ
監督 スペインの旗 アントニオ・ムニョス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史 編集

初期 編集

ジェールは1937年にハンガリー1部リーグに初めて昇格した。しかし1937-38シーズンに13位に終わり、2部リーグに降格した。1946年に再び1部リーグに昇格し、今度は10シーズン連続で参加したものの、1955年にまた降格した。1958年に1部リーグに復帰したが再び降格した。1960年のカムバック以降は一度も1部から降格していない。

1960年代・ヨーロピアンカップでの準決勝進出(1964-65) 編集

1963年、ジェールETO FCはハンガリー1部リーグのタイトルを初めて獲得した。その結果、チームは1964-65シーズンのヨーロピアンカップに出場した。1964年9月2日、ジェールはライプツィヒにてケミー・ライプツィヒを2-0で破った。セカンドレグにも4-2で勝利して1回戦進出を決めた[1]。1回戦ではロコモティフ・ソフィアと対戦し、ホームでの第1戦に5-3で勝ち、ソフィアでは4-3で敗れたもの合計8-7で勝った[2]。準々決勝ではジェールはオランダのドール・ウィルスクラフト・ステルク (DWS) と戦った。アムステルダムオリンピスフ・スタディオンで行われた第1戦は1-1、ホームでの第2戦には1-0で勝ち、合計2-1で勝利した[3]。準決勝ではポルトガルの巨人ベンフィカとあたり、ジェールは本拠地ネープシュタディオン(現在のプシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン)での第1戦に1-0で敗れ、エスタディオ・ダ・ルスでの第2戦にもベンフィカが4-0で勝ったため、ジェールはヨーロピアンカップから敗退した[4]

1980年代 編集

1980年代にジェールは頂点に達し、1981-82および1982-83シーズンのハンガリーリーグに優勝した。1981-82シーズンには102点中、ハンニヒ・ペーテルセンテス・ラーザールが2人で43ゴールを挙げた。監督のヴェレベシュ・ヨーゼフはオランダスタイルのサッカーを標榜し、勝ち点49を積み上げた。翌シーズン、ジェールは最終戦でその勝ち点を44として、2位のフェレンツヴァーロシュの勝ち点43をわずかに上回った。センテスの怪我のため前シーズンよりチーム全体の得点数は20減り、ハンニヒは20ゴールで得点ランキング2位だった。1981-82シーズンの優勝によってチームは1982-83シーズンのヨーロピアンカップに出場した。ジェールは1回戦でベルギーチャンピオンのスタンダール・リエージュと対戦し、アウェーでの試合に5-0で敗れ、その後ホームでは3-0で勝利したものの、このラウンドで敗退した。翌1983-84シーズンのヨーロピアンカップでは、1回戦でアイスランドのヴィーキングルを負かした。ジェールは第1戦ではマジャルとブルチャのゴールによって2-1で勝利し、アウェーでの試合にもマジャルとセンテスのゴールにより2-0で勝利した。2回戦でジェールはより難しい対戦相手であるソビエト連邦のディナモ・ミンスクとあたった。ジェールで行われた第1戦ではディナモが6-3で勝利、ミンスクでのアウェーマッチにはジェールが3-1で勝利したが、ヨーロピアンカップからの敗退が決まった。ジェールは1983-84および1984-85シーズンはブダペスト・ホンヴェードに次ぐ2位、1985-86シーズンは3位となった。1986-87シーズンにクラブは10位に終わったが、翌シーズンは再びリーグのトップに近づき、4位に達した。

1990年代 編集

1990年代は、1990-91と1991-92シーズンに2シーズン連続11位という幸先の悪い始まりだった。1995-96シーズンには15位に沈み、西部ハンガリーのライバル・FCショプロンとプレーオフマッチを戦わなければならなくなった。第1戦にジェールは2-0で勝利し、アウェーでの試合には2-1で敗れたが、この結果によりジェールは1部残留を決めた。クラブの歴史で最底辺の時期を経て、1996-97シーズンは9位、1997-98と1998-99シーズンには1990年代で最高順位となる4位につけた。

2000年代 編集

 
本拠地ETOパーク

ピンテール・アッティラは2009年にジェールETO FCの監督になった。彼の監督時代にチームは2009-10シーズンに3位になり、2010-11シーズンのヨーロッパリーグに出場を決めた。予選1回戦でFCニトラと対戦し、第1戦は2-2[5]ETOパークでの第2戦ではジェールが3-1で勝利した[6]。予選2回戦ではカザフスタンのアティラウと対戦し、第1戦ではジェールがリナス・ピリバイティスフアド・ブゲラのゴールにより2-0で勝利[7]、第2戦もラティ・アレクシーゼミハイ・ニコレクのゴールにより2-0で勝利した[8]。予選3回戦ではフランスのモンペリエHSCと対戦し[9]、ETOパークでの第1戦ではモンペリエがオリヴィエ・ジルーのゴールで1-0の勝利[10]、第2戦はジェールがヴァレンティン・バビッチのゴールにより1-0で勝利した[11]。延長戦でも決着せず、PK戦にジェールが4-3で勝利してヨーロッパリーグのプレーオフ進出を決めた。プレーオフでジェールはクロアチアのディナモ・ザグレブと対戦し、第1戦ではディナモ・ザグレブが2-0で勝利[12]スタディオン・マクシミールで行われた第2戦でもジェールが2-1で敗れ、合計スコア4-1でヨーロッパリーグの敗退が決まった[13]

試合数の増加によりジェールはハンガリーリーグとヨーロッパリーグの両方を成り立たせることができなかった。国内リーグでの結果は経営陣にとって満足のいくものではなく、そのためピンテールと経営陣は両者間の契約を解消した。経営陣は後任監督にチェルトーイ・アウレールを就任させた。

2010年代 編集

2011年6月、UEFAはジェールのライセンス違反を認め、罰金と今後3シーズンのヨーロッパ大会からの追放を決めた[14][15]

タイトル 編集

  • ハンガリーリーグ
    • 優勝 (4) : 1963, 1981-82, 1982-83, 2012-13
    • 準優勝 (3) : 1983-84, 1984-85, 2013-14
    • 3位 (6) : 1967, 1973-74, 1985-86, 2007-08, 2009-10, 2011-12
  • マジャル・クパ
    • 優勝 (4) : 1965, 1966, 1967, 197879
    • 準優勝 (4) : 1964, 1984, 2008-09, 2012-13

クラブ名の遍歴 編集

  • 1994: ジェーリETO FC (Győri ETO FC)
  • 1992: ラーバETO FCジェール (Rába ETO FC Győr)
  • 1985: ジェーリETO FC (Győri ETO FC)
  • 1965: ラーバETOジェール (Rába ETO Győr)
  • 1957: ジェーリ・バシャシュETO (Győri Vasas ETO)
  • 1957: マジャル・ヴィルヘルム・ピエツク・ヴァゴン=エーシュ・ゲープジャールETOジェール (Magyar Wilhelm Pieck Vagon- és Gépgyár ETO Győr)
  • 1954: ヴィルヘルム・ピエツク・ヴァシャシュETO SKジェール (Wilhelm Pieck Vasas ETO SK Győr)
  • 1953: ヴァシャシュSEジェール (Vasas SE Győr)
  • 1952: ジェーリ・ヴァシャシュ (Győri Vasas)
  • 1950: ジェーリ・ヴァシャシュ SC ETO (Győri Vasas SC ETO)
  • 1904: ジェーリ・ヴァゴンジャールETO (Győri Vagongyár ETO)

出典:[16]

現所属メンバー 編集

2021年8月11日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   マルコ・ヴカソヴィッチ
4 DF   チョンカ・ボニファーツ
5 DF   リプターク・ゾルターン
8 MF   バギ・イシュトヴァーン
9 FW   トニ・カナロシュ
10 FW   シムチョー・ヴィクトル
11 FW   オーヴァーリ・ジョルト
12 GK   ルイス・バルナバーシュ
15 DF   フォドル・フェレンツ
16 DF   ヴィンツェ・アーダーム
20 MF   トゥボイ・マーテー
21 DF   バルナ・サボルチ
No. Pos. 選手名
22 MF   ユーリ・トマ
24 MF   クルチャール・コルネール
27 MF   ヴィターリシュ・ミラーン
29 FW   フォルガーチ・ダーヴィド
30 FW   プリシュキン・タマーシュ
70 FW   ベルキ・イシュトヴァーン
86 GK   パールフィ・ドナート
88 MF   サルカ・マーテー
90 DF   コヴァーチ・クリスティアーン
91 MF   キッシュ・マーテー
92 FW   バチャ・パトリク
97 FW   ファルカシュ・バラージュ

過去の成績 編集

シーズン ディビジョン
リーグ 試合数 得点 失点 得失点 勝ち点 順位
1960-61 NB I 26 9 7 10 43 31 +12 25 8位
1961-62 NB I 26 6 10 10 30 44 -14 22 10位
1962-63 NB I 26 12 5 9 42 37 +15 29 6位
1963 NB I 13 6 5 2 20 7 +13 17 1位
1964 NB I 26 12 9 5 38 25 +13 33 5位
1965 NB I 29 12 9 8 41 30 +11 30 5位
1966 NB I 26 11 9 6 38 29 +9 31 5位
1967 NB I 30 14 11 5 68 37 +31 39 3位
1968 NB I 30 6 11 13 37 48 -11 23 14位
1969 NB I 30 12 10 8 53 36 +17 34 5位
1970 NB I 14 3 1 10 9 23 -14 7 16位
1970-71 NB1 30 13 6 11 37 34 +3 33 9位
1971-72 NB1 30 7 12 11 36 51 -15 21 10位
1972-73 NB1 30 14 2 14 46 51 -5 30 8位
1973-74 NB1 30 15 8 7 43 35 +8 38 3位
1974-75 NB1 28 10 5 13 40 44 -4 25 9位
1975-76 NB I 30 7 11 12 36 49 -13 25 11位
1976-77 NB I 34 15 5 14 54 46 +8 35 7位
1977-78 NB I 34 6 13 15 37 52 -15 25 15位
1978-79 NB I 34 12 11 11 40 33 +7 35 6位
1979-80 NB I 34 14 10 16 59 62 -3 32 13位
1980-81 NB I 34 9 13 12 43 43 0 31 11位
1981-82 NB I 34 21 7 6 102 50 +52 49 1位
1982-83 NB I 30 19 6 5 82 37 +45 44 1位
1983-84 NB I 30 14 9 7 66 58 +8 37 2位
1984-85 NB I 30 15 6 9 57 49 +8 36 2位
1985-86 NB I 30 13 11 6 60 43 +17 37 3位
1986-87 NB I 30 9 11 10 51 45 +6 29 10位
1987-88 NB I 30 17 7 9 49 43 +6 35 4位
1988-89 NB I 30 16 3 2 44 31 +13 56 5位
1989-90 NB I 30 7 14 9 34 30 +4 35 12位
1990-91 NB I 30 8 10 12 35 41 -6 26 11位
1991-92 NB I 30 8 10 12 34 43 -9 26 11位
1992-93 NB I 30 10 9 11 38 43 -5 29 9位
1993-94 NB I 30 15 7 8 51 37 +14 37 5位
1994-95 NB I 30 11 5 14 42 40 +2 35 11位
1995-96 NB I 30 6 9 15 34 54 -20 27 15位
1996-97 NB I 34 10 12 12 44 51 -7 42 9位
1997-98 NB I 34 18 9 7 47 31 +16 63 4位
1998-99 NB I 34 16 11 7 53 39 +14 59 4位
1999-2000 NB I 32 12 8 12 52 36 +16 44 8位
2000-01 NB I 22 11 5 6 34 32 +2 40 5位
2001-02 NB I 38 10 14 14 51 64 -13 44 10位
2002-03 NB I 32 9 9 14 41 50 -9 36 6位
2003-04 NB I 32 10 6 16 36 54 +18 36 10位
2004-05 NB I 30 16 6 8 44 32 +12 54 5位
2005-06 NB I 30 9 9 12 47 50 -3 36 9位
2006-07 NB I 30 9 8 13 37 43 -6 35 13位
2007-08 NB I 30 16 10 4 64 35 +29 58 3位
2008-09 NB I 30 11 10 9 57 41 +16 43 8位
2009-10 NB I 30 15 12 3 38 18 +20 57 3位
2010-11 NB I 30 10 11 9 40 35 +5 41 8位
2011-12 NB I 30 20 3 7 56 31 +25 63 3位
2012-13 NB I 30 19 7 4 57 31 +24 64 1位
2013-14 NB I 30 18 8 4 58 32 +26 62 2位
2014-15 NB I 30 10 8 12 41 44 -3 38 8位
2015-16 NB III 32 16 9 7 60 33 +27 57 4位
2016-17 NB III 32 27 0 5 84 22 +62 81 1位
2017-18 NB II 38 17 7 14 55 53 +2 58 7位

ヨーロッパの大会での成績 編集

UEFAチャンピオンズリーグ 編集

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
1964-65 ヨーロピアンカップ 予選   ケミー・ライプツィヒ 4-2 2-0 6-2
1回戦   ロコモティフ・ソフィア 5-3 3-4 8-7
準々決勝   DWS 1-0 1-1 2-1
準決勝   SLベンフィカ 0-1 0-4 0-5
1982-83 ヨーロピアンカップ 1回戦   スタンダール・リエージュ 3-0 0-5 3-5
1983-84 ヨーロピアンカップ 1回戦   ヴィーキングルKF 2-1 2-0 4-1
2回戦   FCディナモ・ミンスク 3-6 1-3 4-9

UEFAカップウィナーズカップ 編集

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
1966-67 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   フィオレンティーナ 4-2 0-1 4-3
2回戦   SCブラガ 3-0 0-2 3-2
準々決勝   スタンダール・リエージュ 2-1 0-2 2-3
1967-68 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   アポロン・リマソールFC 5-0 4-0 9-0
2回戦   ACミラン 2-2 1-1 3-3(a)
1968-69 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   ディナモ・ブカレスト x x w/o
1979-80 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   ユヴェントスFC 2-1 0-2 2-3

UEFAカップ 編集

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
1969-70 インターシティーズ・フェアーズカップ 1回戦   ローザンヌ・スポール 2-1 2-1 4-2
2回戦   FCバルセロナ 2-3 0-2 2-5
1974-75 UEFAカップ 1回戦   ロコモティフ・プロヴディフ 3-1 1-3 4-4(a)
2回戦   フォルトゥナ・デュッセルドルフ 2-0 0-3 2-3
1984-85 UEFAカップ 1回戦   マンチェスター・ユナイテッド 2-2 0-3 2-5
1985-86 UEFAカップ 1回戦   FCボヘミアンズ・プラハ 3-1 1-4 4-5(aet)
1986-87 UEFAカップ 1回戦   ディナモ・ミンスク 0-1 4-2 4-3
2回戦   トリノFC 1-1 0-4 1-5
2008-09 UEFAカップ 予選1回戦   FCゼスタポニ 1-1 2-1 3-2
予選2回戦   VfBシュトゥットガルト 1-4 1-2 2-6

UEFAインタートトカップ 編集

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
1989 UEFAインタートトカップ グループ4   グラスホッパー 1-0 1-2
グループ4   VfBアドミラ・ヴァッカー 5-0 1-5
グループ4   ブレンビーIF 1-0 1-1
2003 UEFAインタートトカップ 1回戦   エスニコス・アフナFC 1-1 2-2 3-3(a)
2回戦   ラシン・サンタンデール 2-1 0-1 2-2(a)

UEFAヨーロッパリーグ 編集

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 合計
2010-11 UEFAヨーロッパリーグ 予選1回戦   ニトラ 3-1 2-2 5-3
予選2回戦   アティラウ 2-0 3-0 5-0
予選3回戦   モンペリエ 0-1 1-0 1-1(p)
プレーオフ   ディナモ・ザグレブ 0-2 1-2 1-4

歴代監督 編集

出典:[17]

歴代所属選手 編集

その他の部門 編集

ジェールETOはいくつかの部門においても成功を収めている。たとえばハンドボールチームが全国選手権で多く優勝している。男子チームは1986年にラーバ・ヴァシャシュETOジェールとしてEHFカップに優勝した。現在ではとりわけ女子チームがよく知られており、2006年にカップウィナーズカップで決勝進出、2007年にチャンピオンズリーグで準決勝に進出した。

脚注 編集

  1. ^ 1964/65 European Champions Clubs' Cup”. UEFA (2011年8月8日). 2011年8月22日閲覧。
  2. ^ 1964/65 European Champions Clubs' Cup”. UEFA (2011年8月8日). 2011年8月22日閲覧。
  3. ^ 1964/65 European Champions Clubs' Cup”. UEFA (2011年8月8日). 2011年8月22日閲覧。
  4. ^ 1964/65 European Champions Clubs' Cup”. UEFA (2011年8月8日). 2011年8月22日閲覧。
  5. ^ Nitra 2-2 Győr”. UEFA (2010年7月1日). 2011年8月22日閲覧。
  6. ^ Győr 3-1 Nitra”. UEFA (2010年7月8日). 2011年8月22日閲覧。
  7. ^ Atyrau 0-2 Győr”. UEFA (2010年7月15日). 2011年8月22日閲覧。
  8. ^ Győr 2-0 Atyrau”. UEFA (2010年7月22日). 2011年8月22日閲覧。
  9. ^ Montpellier itching to get going”. UEFA (2010年7月27日). 2011年8月22日閲覧。
  10. ^ Győr 0-1 Montpellier”. UEFA (2010年7月29日). 2011年8月22日閲覧。
  11. ^ Montpellier 0-1 Győr”. UEFA (2010年8月5日). 2011年8月22日閲覧。
  12. ^ Győr 0-2 Dinamo Zagreb”. UEFA (2010年8月19日). 2011年8月22日閲覧。
  13. ^ Dinamo Zagreb 2-1 Győr”. UEFA (2010年8月26日). 2011年8月22日閲覧。
  14. ^ “Gyor” is suspended from European cup”. footballinfo.org (2011年6月19日). 2011年6月19日閲覧。
  15. ^ Györ suspended and fined, MLSZ fined”. UEFA.com (2011年6月17日). 2012年4月12日閲覧。
  16. ^ http://www.eto.hu/regi/index.php?op=content&sel=30
  17. ^ http://www.eto.hu/index.php?lan=hu&m=47

外部リンク 編集