ジミー・ベイン

スコットランド生まれのベーシスト、作曲家

ジミー・ベイン(Jimmy Bain、1947年12月19日 - 2016年1月23日)は、スコットランド生まれのベーシスト作曲家リッチー・ブラックモアのバンドであるレインボーや、そのメンバーだったロニー・ジェイムス・ディオが結成したディオで活動したことで知られる。

ジミー・ベイン
Jimmy Bain
ジミー・ベイン(1983年)
基本情報
出生名 ジェームズ・スチュアート・ベイン
James Stuart Bain
生誕 (1947-12-19) 1947年12月19日
出身地 スコットランドの旗 ハイランド
カウンシル・エリアニュートンモア
死没 (2016-01-23) 2016年1月23日(68歳没)
ジャンル ハードロックヘヴィメタル
担当楽器 ベース
活動期間 1974年 - 2016年
共同作業者 レインボー
ワイルド・ホーシズ
ディオ
ラスト・イン・ライン

来歴 編集

1947年12月19日、スコットランドのハイランドカウンシル・エリアニュートンモアに生まれる。フルネームは、ジェームズ・スチュアート・ベイン(James Stuart Bain)。

少年時代より地元のアマチュアバンドとセッションを組んでおり、両親と弟に続いてカナダバンクーバーに移住する直前までストリート・ノイズというローカル・バンドとセッションを繰り返していた。移住して間もなくイギリスに帰国し、1974年より本格的にプロミュージシャンとしての活動を開始する。当時ベイビーズにスカウトされたが、結局断っている。

レインボー 編集

1975年9月オーディションの結果、解雇されたクレイグ・グルーバーの後任としてレインボーに加入。きっかけは、ロンドンのライブハウスで演奏しているところ、客として来ていたブラックモアから実力を見込まれたことだった[1]。翌年2月にリリースされた『虹を翔る覇者』のレコーディング、6月に始まったライブ・ツアーにも参加し、12月には初の日本公演で来日した。彼のライブ・パフォーマンスは『レインボー・オン・ステージ』で聴くことができる。

1977年2月に解雇された[2]

ワイルド・ホーシズ 編集

その後、シン・リジィの元ギタリスト・ブライアン・ロバートソンと共に、ワイルド・ホーシズを結成。ベインはベースとヴォーカルを兼任していた。

ディオ 編集

他アーティストとの共演 編集

2013年8月3日、ディオに在籍していた時に共に活動したヴィヴィアン・キャンベルヴィニー・アピス、元リンチ・モブのアンドリュー・フリーマンらと結成した『LAST IN LINE(ラスト・イン・ライン)』の初ライブをカリフォルニアで開催[3]

2016年、ラスト・イン・ラインのデビューアルバム「HEAVY CROWN(ヘヴィ・クラウン)」をリリース。アルバムのプロデュースは、ディオに参加した経験のあるドッケンのジェフ・ピルソンが務めた[4]

ソロ活動 編集

死去 編集

2016年1月24日、ディオの黄金期のメンバーらと結成した『ラスト・イン・ライン』のライブが行われるクルーズ船のキャビンの中で亡くなっているのが発見された。現場に同席していたTV司会者のエディ・トランクは「ジミーは土曜日の夜、彼のキャビンの中で発見された」と証言している[5]。24日に亡くなったと報道されたが、正式には前日の23日である。

監察医が死因は肺癌と特定した。ヴィニー・アピスは追悼コメントで「ジミーは自分が肺癌を患っていることは知らなかったが、肺炎にかかっていることはわかっていて、治療を受けていた」と明かした[6]

脚注 編集

出典 編集

注釈 編集


参考文献 編集

  • Popoff, Martin (2016), The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979), Wymer Publishing, ISBN 978-1-908724-42-7 

外部リンク 編集