ジャガー・XJR-111989年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)用にトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が製作したグループCカーである。IMSA GT選手権に参戦したXJR-10とはほぼ同型車である。

ジャガー・XJR-11
カテゴリー グループC
コンストラクター トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)
デザイナー トニー・サウスゲート
ロス・ブラウン (1990)
先代 ジャガー・XJR-9
後継 ジャガー・XJR-12
(ル・マン、デイトナ、セブリング)
ジャガー・XJR-14
主要諸元
シャシー カーボン・コンポジット モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン プッシュロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン プッシュロッド
全長 4,800 mm
全幅 2,000 mm
全高 1,050 mm
ホイールベース 2,794 mm
エンジン JRV6 3,498 cc V6 ツインターボ ミッドシップ
トランスミッション マーチ VG 5(6)速 MT
重量 900 kg
タイヤ ダンロップ(1989)
グッドイヤー(1990)
主要成績
チーム TWR
ドライバー フランスの旗 パトリック・タンベイ
オランダの旗 ヤン・ラマース
イギリスの旗 アンディ・ウォレス
デンマークの旗 ジョン・ニールセン
フランスの旗 アラン・フェルテ
イギリスの旗 マーティン・ブランドル
アメリカ合衆国の旗 デイビー・ジョーンズ
出走時期 1989 - 1990年
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1989年 ブランズ・ハッチ
初勝利 1990年 シルバーストン
最終戦 1990年 メキシコ
出走優勝ポール
1312
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概要 編集

エンジンはXJR-9までの大排気量自然吸気V型12気筒から、オースチン・ローバー・V64Vエンジン英語版(3.5リットルV型6気筒)をベースに[1]、ターボ加給などで発展させたJRV-6エンジン英語版に変更された。エンジンマネージメントシステムは1989年はザイテックを、1990年はボッシュ・モトロニックを使用。

シャシーデザインはトニー・サウスゲートが行い、サウスゲート退任後の1990年はロス・ブラウンが開発を引き継いだ。

当初、ターボ・マシンはIMSA用として開発されており、WSPCにはNA・V12気筒エンジンの4バルブ仕様の投入が計画されていたが[2]、WSPCにもターボ・マシンを投入することになった。

デビュー戦は第4戦ブランズ・ハッチ。5位で完走するが、同じ英国のアストンマーティン・AMR1(4位)の後塵を拝することになってしまう。以降も熟成が進まず、TWRジャガーは最終戦ロドリゲスメキシコ)ではXJR-9にマシンを戻すことになった。

1990年からTWRジャガーはタイヤを永く使ってきたダンロップからグッドイヤーに変更した。開幕戦鈴鹿では序盤トヨタと激しい先陣争いを演じるが、終盤ギアボックスとターボが壊れリタイヤに終わった。第2戦モンツァではメルセデス2台に次ぐ3位と初めて表彰台に上り、第3戦の地元シルバーストンでは、メルセデスの脱落があったにせよ、初優勝を1-2フィニッシュで飾った。シーズン後半はタイヤ性能では劣る(ダンロップを装着)日産にしばしば上に行かれるも、年間ランキング2位を守り切ってシーズンを終えた。しかし年間王者メルセデスとの差は埋めがたいものがあった。

1991年スポーツカー世界選手権(SWC)のTWRジャガーはカテゴリー1(3.5リットル自然吸気エンジン搭載)のXJR-14にマシンを移行するが、XJR-11は日本のサンテック・レーシングにより全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。しばしば好走を見せるが結果に結びつかず、第5戦菅生の6位がシーズンを通しての最高位だった。

脚注 編集

  1. ^ 世界最速だったジャガー「XJ220」は5200万円! フェラーリ「F50」やブガッティ「EB110」の半値以下の理由とは - 記事詳細|Infoseekニュース”. Infoseekニュース. 2023年12月26日閲覧。
  2. ^ 「R'onインタビュー トム・ウォーキンショー」『Racing On』No.045 武集書房、1989年。

関連項目 編集