ジャクリーン・ジル・“ジャッキー”・スミス: Jacqueline Jill "Jacqui" Smith1962年11月3日 - )は、イギリスの政治家。労働党所属。

ジャッキー・スミス
Jacqui Smith
ジャッキー・スミス
生年月日 (1962-11-03) 1962年11月3日(61歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスウスターシャーマルヴァン
出身校 オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ
所属政党 労働党
公式サイト Jacqui Smith
選挙区 レディッチ選挙区
在任期間 1997年5月1日 - 2010年4月12日

内閣 ブラウン内閣
ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
在任期間 2007年6月28日 - 2009年6月5日

内閣 第3次ブレア改造内閣
在任期間 2006年5月5日 - 2007年6月28日
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ブラウン内閣内務大臣を務めた。2003年からは枢密院議員にも選ばれている。

スミスはイギリスで女性初の内務大臣であり、Great Offices of Stateと呼ばれる主要4大ポストに就いた女性は、マーガレット・サッチャー首相)、マーガレット・ベケット外相)に次いで3人目である。

経歴 編集

政界入り 編集

ウスターシャーマルヴァン英語版で生まれ、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジを卒業する。1997年の総選挙でレディッチ選挙区から出馬し初当選を果たす。この選挙では、ブレア人気の恩恵を受けて大勢の女性議員が当選し、これらの議員は“ブレア・ベイビー英語版”と呼ばれた。

1999年には政務次官となり、閣外相のエステル・モリス英語版と共に職業・教育省を監督した。2001年の総選挙の後は保健省の閣外相に任命される。2003年には女性担当政務次官となり、大臣のパトリシア・ヒューイット英語版と共に同性婚に関する政策に関った。

2005年の総選挙の後、落選したスティーヴン・トウィッグ英語版の代わりに学校閣外相に任命された。彼女の仕事ぶりは賞賛され、閣内相のルース・ケリー英語版よりも高評価を得た。

庶民院院内幹事 編集

2006年の内閣改造では、庶民院の院内幹事英語版に任命された。ゴードン・ブラウン財務大臣の支持者たちがブレア首相に辞任を迫ると、彼女はこの対立を沈めることに成功する[1]BBCのニック・ロビンソン政治記者は、彼女を「ブレア派ブラウン派の対立に平和をもたらす者」と評価した。[2]

彼女はブレア派に所属しており、トニー・ブレアとその政策に対して非常に忠実であった[3]。庶民院でのブレア退陣演説の際にも涙を見せている[1]

内務大臣 編集

ゴードン・ブラウンが首相に就任すると、彼の内閣内務大臣に任命される。女性としては初の就任であり、Great Offices of Stateとよばれる首相・外相・財務相・内相の主要ポストについた女性は史上3人目であった。ブラウン内閣の発足に当たっては、このスミスの登用が最大のサプライズとされた。大臣任命は2007年6月28日のことであったが、彼女の内務大臣としての初仕事は、まさに翌日、29日のロンドン車爆破事件と30日のグラスゴー国際空港テロ事件への対応であった[4]

2007年7月19日、スミスは1980年代に大麻を使用していたことを暴露され、それを認めた[5]

2009年3月29日、スミスの夫が見た有料アダルトビデオの料金が、長期間に渡ってインターネット料金と共に公費で支払われていたことが『サンデー・エクスプレス』紙により暴露された[6]。スミスは、不適切な行為だったとして夫を強く非難した上で、私費により返済することを約束した。しかし統一地方選英語版を目前に控えていたため、騒動の責任を取り内務大臣の職を辞任することを表明した[7]。後任には保健相のアラン・ジョンソンが就任した。

2010年イギリス総選挙では、労働党への逆風や前述のスキャンダルの影響もあり、保守党のカレン・ラムリー英語版に敗れ落選した。

一連のスキャンダル以前は、ブラウン首相の後継者の最有力候補と見られていた[8][9]

私生活 編集

1987年10月、スミスはリチャード・J・ティムニー(1963年生)とマルヴァンで結婚した。1993年9月と1998年6月、それぞれ息子が誕生している。

サッカークラブ、アストン・ヴィラFCの熱狂的なサポーターとして知られ、余暇には試合観戦に時間を費やしている[10]

参照 編集

外部リンク 編集

動画
議会
先代
創設
レディッチ選挙区選出
1997年 - 2010年
次代
カレン・ラムリー
公職
先代
ヒラリー・アームストロング英語版
財務政務次官
2006年 - 2007年
次代
ジェフ・フーン
庶民院院内幹事
2006年 - 2007年
先代
ジョン・リード
内務大臣
2007年 - 2009年
次代
アラン・ジョンソン