ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル

ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(Jules Joseph Lefebvre, 1836年3月14日 - 1911年2月24日)は、フランスの人物画家

ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル
誕生日 (1836-03-14) 1836年3月14日
出生地 フランスの旗 フランス王国セーヌ=エ=マルヌ県トゥルナン=アン=ブリ英語版
死没年 1911年2月24日(1911-02-24)(74歳)
死没地 フランスの旗 フランス共和国パリ
国籍 フランスの旗 フランス
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生涯 編集

ルフェーブルは1852年エコール・デ・ボザールに入学し、レオン・コニエen:Léon Cogniet)の下で絵を学んだ。1861年、『プリアモスの死』でローマ賞を受賞。1855年から1898年にかけて、パリ・サロンに72点の肖像画を出展した。1891年には、フランス芸術アカデミーのメンバーになった。

ルフェーブルはパリのアカデミー・ジュリアンの講師だった。優秀にして思いやりのある教師としてアカデミーに欠かすことができない存在だった。多くのアメリカ人を含む、1,500人またはそれ以上の教え子たちの中には、スコットランド生まれの風景画家ウィリアム・ハートWilliam Hart)やジョルジュ・ロシュグロス(Georges Rochegrosse)、ジョン・ノーブル・バーロウ(John Noble Barlow)、チャイルド・ハッサム(Childe Hassam)、フランク・ウェストン・ベンソン(Frank Weston Benson)、エドモンド・チャールズ・ターベル(Edmund Charles Tarbell)、それにフェルナン・クノップフらがいた。エコール・デ・ボザールでも長く教授を務めた。

ルフェーブルの描く絵は、もっぱら1人の美しい女性を描いた人物画だった。

M・L・レイノーやナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト皇太子(1874年)の肖像画も描いた。パリ万国博覧会1等メダル(1878年)、名誉勲章(1886年)など数々の勲章を授与され、さらにレジオンドヌール勲章コマンドール、フランス学士院会員であった。


ギャラリー 編集

外部リンク 編集