ジョセフ・ド・グラスJoseph De Grasse, 1873年5月4日 - 1940年5月25日)は、カナダ出身の映画監督脚本家俳優映画プロデューサーである[1]。本名ジョゼフ・ルイ・ド・グラスJoseph Louis De Grasse[1]、日本では姓をデ・グラッス[2]ともド・グラッセ[3]とも表記された。

ジョセフ・ド・グラス
Joseph De Grasse
Joseph De Grasse
1916年
本名 ジョゼフ・ルイ・ド・グラス
Joseph Louis De Grasse
別名義 ジョー・ド・グラス
Joe De Grasse
生年月日 (1873-05-04) 1873年5月4日
没年月日 (1940-05-25) 1940年5月25日(67歳没)
出生地 カナダの旗 カナダ ニューブランズウィック州バサースト
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市イーグル・ロック
国籍 カナダの旗 カナダ
職業 映画監督脚本家俳優映画プロデューサー
活動期間 1911年 - 1936年
配偶者 アイダ・メイ・パーク
著名な家族 サム・ド・グラス (弟)
ロバート・デ・グラス (甥)
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人物・来歴 編集

1873年(明治6年)5月4日、カナダのニューブランズウィック州バサーストで、フランス海軍提督フランソワ・ド・グラスの流れを汲むフランス系家庭に生まれる[1]。2歳下の弟サミュエルはのちにサム・ド・グラスと名乗る俳優となった[1]。満7歳を迎える1880年(明治13年)、一家でアメリカ合衆国に移民した[1]

長じて最初に就いた職は記者であったが、やがてアイダ・メイ・パークと出会い、舞台俳優となり、ふたりは結婚する[1]。1910年(明治43年)前後には、カリフォルニア州バーバンクで映画出演を始める[1]。1914(大正3年)には監督業に進出する[1]

1916年(大正5年)に設立されたブルーバード映画で監督した作品『恨みの金貨』から1918年(大正7年)の『靈の導き』まで[4]、あるいはそれ以降の作品は、多く日本でも公開された[5]

1940年(昭和15年)5月25日、カリフォルニア州ロサンゼルス市イーグル・ロックで死去した[1]。満67歳没。ハリウッド・フォーエヴァー墓地に眠る[6]

おもなフィルモグラフィ 編集

監督作である[1]

関連事項 編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j Joseph De Grasse, Internet Movie Database, 2010年4月14日閲覧。
  2. ^ ジョセフ・デ・グラッス、allcinema ONLINE, 2010年4月14日閲覧。
  3. ^ 日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.323.
  4. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.
  5. ^ ジョセフ・ド・グラス、キネマ旬報映画データベース、2010年4月14日閲覧。
  6. ^ Joseph De Grasse, Find A Grave, 2010年4月14日閲覧。

外部リンク 編集