ジョゼファ・デ・オビドス

ジョゼファ・デ・オビドスとして知られるジョゼファ・デ・アヤラ・フィゲイラ(Josefa de Obidos、本名: Josefa de Ayala Figueira 、1630年2月22日(洗礼日) - 1684年7月22日)は17世紀のポルトガルの女性画家である。宗教的な主題の作品や「ボデゴン(厨房画)」と呼ばれるジャンルの静物画も多く描いた。 [1][2]

ジョゼファ・デ・オビドス
Josefa de Obidos
ジョゼファ・デ・オビドス作「São João Batista」
誕生日 1630年2月22日(洗礼日)
出生地 スペイン、セビリア
死没年 1684年7月22日
死没地 ポルトガル、オビドス
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ジョゼファ・デ・オビドス作「果物、野菜、花のある静物画」

略歴 編集

スペインのセビリアで生まれた。父親はポルトガルの現在のレイリア県のオビドス出身の画家、バルタサール・ゴメス・フィゲイラ(Baltazar Gomes Figueira: 1604-1674)で、セビリアの有名な画家、フランシスコ・エレーラ(Francisco de Herrera el Viejo: 1576-1656)の工房で働いていた。スペイン人の母親、Catalina de Ayala Camachoも画家 Bernabé de Ayalaの親類で、ジョゼファ・デ・オビドスが洗礼を受けた時、フランシスコ・エレーラが名付け親になった[1]

両親がポルトガルに移った後も、フランシスコ・エレーラの工房に残り、絵を学び、14歳になった時、コインブラの修道院で祭壇画を制作する父親のもとに移り、助手として働いた。23歳になった1653年にまでに、家族とオビドスに移り、1653年にコインブラの聖人像を版画で出版して有名になった。修道院や教会で宗教画を描き、1662年にイギリス王チャールズ2世とポルトガル王女、カタリナの結婚式が行われた後、それを祝福するための絵画なども描くなど宮廷の仕事もした。

1674年に父親が亡くなるまで父親の工房で働き続け、義理の兄弟となったJosé Pereira da Costaや、弟のfrère Antonio de Ayalaと共作もした。

フアン・サンチェス・コターンらによって16世紀後半からスペインで描かれるようになった「ボデゴン(厨房画)」と呼ばれるジャンルの静物画も多く描いた。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Barrio, Javier Martín del (16 de enero de 2016). «Reportaje | Josefa de Óbidos, ‘superwoman’ en el siglo XVII». El País. ISSN 1134-6582. Consultado el 21 de abril de 2021.
  2. ^ «Josefa de Óbidos, la pintora hispano-lusa impulsora del Barroco portugués». La Vanguardia. 23 de mayo de 2015. Consultado el 21 de abril de 2021.

参考文献 編集

  • Delia Gaze, Dictionary of Women Artists, vol. 1, Fitzroy Dearborn Publishers , 1997 (ISBN 1-884964-21-4, lire en ligne ), p. 201.
  • Collectif, Josefa de Óbidos e a Invenção do Barroco Português, INCM, Lisbonne 2015, 247