ジョージ・イーデン (初代オークランド伯爵)

初代オークランド伯爵ジョージ・イーデン: George Eden, 1st Earl of Auckland,GCB PC1784年8月25日 - 1849年1月1日)は、イギリスの政治家・植民地行政官。バス勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士、枢密顧問官

初代オークランド伯爵
ジョージ・イーデン
George Eden, 1st Earl of Auckland
生年月日 1784年8月25日
出生地 イングランドの旗 イングランドケントベッケンナム
没年月日 1849年1月1日 (満64歳没)
死没地 イングランドの旗 イングランドハンプシャー、The Grange
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党 ホイッグ党
称号 バス勲章勲爵士 (GCB)
枢密顧問官 (PC)
親族 初代オークランド男爵 (父)
初代ミントー伯爵 (義伯父)

内閣 グレイ内閣
在任期間 1834年6月 - 1834年7月
国王 ウィリアム4世

内閣 第2次メルバーン内閣
在任期間 1835年4月22日 - 1835年9月
国王 ウィリアム4世

在任期間 1836年3月4日 - 1842年2月28日
国王 ウィリアム4世・ヴィクトリア

内閣 第1次ラッセル内閣
在任期間 1846年7月7日 - 1849年1月
国王 ヴィクトリア
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三度にわたって海軍卿First Lord of the Admiralty[注 1]となったほか、1836年から1842年までインドの総督を務めた。

経歴 編集

政治家・外交官である初代オークランド男爵ウィリアム・イーデン英語版と、サー・ギルバート・エリオット英語版準男爵の娘エレノアの間に次男として、ケント州のベッケンナムで生まれた[1]。妹に日記作家・小説家のエミリー・イーデン英語版がいる。

イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで教育を受け、1806年学士1808年修士学位を取得[1]。次いでリンカーン法曹院で学び、1809年法廷弁護士の資格を取得した[1]

1810年に長兄のウィリアムがテムズ川で入水自殺したため、オックスフォードシャー州のウッドストック選挙区から政界入りした。1810年から1812年まで[2]、および1813年からオークランド男爵を相続し貴族院に移る1814年まで[3]、同区選出の庶民院議員を務めた。1830年、第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ内閣英語版において商務庁長官[4]および王立造幣局長に任じられた。1834年に辞任したサー・ジェイムズ・グラハム準男爵の後を継いで海軍卿となり入閣した[5]1835年の第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム第2次内閣英語版においても海軍卿となった[6]。在任中、彼はウィリアム・ホブソン英語版東インド諸島への航海を指示した。後に初代ニュージーランドの総督となったホブソンは、ニュージーランドの首都を彼にちなんでオークランドと名づけている。

1830年に枢密顧問官に列せられ[7]、1835年にバス勲章ナイト・グランド・クロスを授けられた[8]

1836年インドの総督に任命。彼は内政においてインド人の学校の改善や商工業の発展に注力したが、イギリス帝国ロシア帝国グレート・ゲームはその仕事を中断させた。バーラクザイ朝を興したドースト・ムハンマド・ハーンロシアへ接近していると判断し、1838年10月にシムラー宣言を発してアフガニスタンへ出兵した(第一次アフガン戦争)。緒戦の勝利の後に「カウンティ・オヴ・サリーにおけるノーウッドのイーデン男爵」(Baron Eden, of Norwood, in the county of Surrey)および「オークランド伯爵」(Earl of Auckland; ともに連合王国貴族)に叙された[9]が、最終的にアフガニスタンの戦況は悲惨なものとなった。1842年に総督職を第2代エレンバラ男爵エドワード・ロウに譲り、翌1843年にイギリスへ帰国した。

1846年ジョン・ラッセル卿第1次内閣英語版においてみたび海軍卿として入閣し[10]、3年後に没するまでその職にあった。1849年元日に死去[1]。未婚であったため、オークランド伯爵位は断絶、オークランド男爵位は弟のロバート英語版が相続した。

注釈 編集

  1. ^ 他国の海軍大臣に相当する役職。海軍本部 (イギリス)#ファースト・ロード(First Lord of the Admiralty)を参照。

出典 編集

  1. ^ a b c d Lundy, Darryl. “thepeerage.com” (英語). pp. George Eden, 1st and last Earl of Auckland. 2010年10月9日閲覧。
  2. ^ Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr George Eden(英語)
  3. ^ Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr George Eden(英語)
  4. ^ "No. 18748". The London Gazette (英語). 23 November 1830. p. 2450.
  5. ^ "No. 19163". The London Gazette (英語). 10 June 1834. p. 1078.
  6. ^ "No. 19263". The London Gazette (英語). 24 April 1835. p. 808.
  7. ^ "No. 18748". The London Gazette (英語). 23 November 1830. p. 2449.
  8. ^ "No. 19302". The London Gazette (英語). 1 September 1835. p. 1661.
  9. ^ "No. 19805". The London Gazette (英語). 20 December 1839. p. 2655.
  10. ^ "No. 20629". The London Gazette (英語). 4 August 1846. p. 2833.

参考文献 編集

先代
ジョン・チャールズ・ヘリーズ
商務院総裁
1830-1834
次代
チャールズ・ポレット・トムソン
先代
ジョン・チャールズ・ヘリーズ
王立造幣局
1830-1834
次代
ジェイムズ・アバークロンビー
先代
サー・ジェイムズ・グラハム
海軍卿
1834
次代
第2代ド・グレイ伯爵
先代
第2代ド・グレイ伯爵
海軍卿
1835
次代
第2代ミントー伯爵
先代
サー・チャールズ・メトカーフ(代行)
インドの総督
1836-1842
次代
第2代エレンボロー男爵
先代
第9代ハディントン伯爵
海軍卿
1846-1849
次代
サー・フランシス・ベアリング
先代
ウィリアム・イーデン
オークランド男爵
第2代: 1814–1849
次代
ロバート・イーデン
先代
(創設)
オークランド伯爵
初代: 1839–1849
次代
(断絶)