ジョージ・ウェインGeorge Wein1925年10月3日 - 2021年9月13日)は、アメリカジャズプロモータープロデューサーであった。“最も有名な興行監督”、“ジャズの歴史で最も重要な演奏家ではない人物”などと呼ばれた[1] 。彼は、アメリカで1番に知名度が高いジャズ・フェスティバルであろう“ニューポート・ジャズ・フェスティバル”の創設者であった。このフェスティバルは、毎夏ロードアイランド州ニューポートで催されている。

ジョージ・ウェイン

生涯 編集

1925年ボストン生まれ。ウェインはボストン大学で学んでいた頃に、小さなグループを率いて、ボストン近郊でプロピアニストとして活動していた。1950年、彼はストーリーヴィルという名のジャズクラブを開き、同名のレコードレーベルを設立した。1954年、ニューポートに住んでいた Louis と Elaine Lorillard は、彼らの生まれ故郷ロードアイランドのニューポートでフェスティバルを催すために、ウェインを招いた。彼ら自身がフェスティバルのための資金を用意し、開催に漕ぎ着けたそのフェスティバルは、アメリカで最初の野外ジャズフェスティバルとなった[1] 。そして、ニューポートで毎年開かれる伝統的な行事として定着したのであった。ウェインは、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルロサンゼルスPlayboy Jazz FestivalNewport Folk Festival など、他の都市においても数々のフェスティバルを立ち上げていった。また、1960年代にウェインは、大規模なジャズのイベントをプロモートするフェスティバル・プロダクションを設立している。

ウェインは、イベントに企業スポンサーを付ける手法を編み出した。“Schlitz Salute to Jazz”(Schlitzビール)や“Kool Jazz Festival”(Koolタバコ)は、スポンサーの名前を冠した最初のジャズイベントとなった。彼のプロダクション会社の目玉となるイベントは、今日では“the JVC Jazz Festival at Newport”と呼ばれ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴパリワルシャワ東京など複数の都市で開催されている。彼のプロダクション会社のイベントに付いている他のスポンサーには、Mellon Bank、Essence Magazine、VerizonBen & Jerry'sダンキンドーナツなどがある。

ウェインは、彼のジャズ・コンサートの仕事によって、たくさんの名誉を得た。1995年、the Studio Museum of Harlem から、the Patron of the Arts Award を受けた。2004年AARP から受けたは、インパクトのあるものと理解されている。彼はフランスレジオンドヌール勲章を受け、フランス政府から “Commandeur de L'Ordre des Arts et Lettres (Commander of the Order of Arts and Literature)” に任命された。彼はホワイトハウスで2人のアメリカ合衆国大統領に謁見する名誉を得た。1978年ジミー・カーター1993年ビル・クリントンである。2005年、彼はNational Endowment for the Artsから“Jazz Master”と命名された。彼の自叙伝“Myself Among Others: A Life in Music”は、the Jazz Journalists Association から2004年のジャズについてのベストブックに選ばれた。ウェインは、バークリー音楽大学と Rhode Island College of Music から名誉学位を受けた。そして、彼はカーネギー・ホールの終身名誉理事である。

参照 編集

  1. ^ a b "George Wein: Dinosaur Walks the Earth" AllAboutJazz.com interview, June 2000, Retrieved on April 1, 2007.

外部リンク 編集