ジョージ・ベル

ドミニカ共和国の野球選手 (1959-)

ジョージ・ベル英語: George Bell)ことホルヘ・アントニオ・ベル・マセイスペイン語: Jorge Antonio Bell Mathey1959年10月21日 - )は、ドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

ジョージ・ベル
George Bell
トロント・ブルージェイズ時代
(1985年9月)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1959-10-21) 1959年10月21日(64歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手
プロ入り 1978年
初出場 1981年4月9日
最終出場 1993年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2013年

弟のフアン・ベル[1]ボルチモア・オリオールズ等で内野手として7シーズンプレイした。

経歴 編集

フィラデルフィア・フィリーズスカウト、エピ・ゲレーロに見出されフィリーズに入団。トロント・ブルージェイズに移籍後、1981年4月9日にメジャーデビュー。その年は60試合の出場で打率.233に終わり、1982年は一年をマイナーで過ごし、再昇格した1983年も39試合の出場にとどまった。

初のフルシーズンとなった1984年には159試合に出場し、打率.292、本塁打26、打点87と活躍。ロイド・モスビー中堅手)、ジェシー・バーフィールド右翼手)との外野トリオは、当時メジャー最強外野陣とも言われた。1985年には28本塁打、95打点で初のシルバースラッガー賞を受賞し、以後3年連続で受賞。 この年チームは地区優勝を果たし、ア・リーグチャンピオンシップシリーズでもカンザスシティ・ロイヤルズ相手に3勝1敗と王手をかけたが、そこから3連敗を喫し、史上初のカナダでのワールドシリーズはならなかった。1986年には初の3割(.309)、そして31本塁打、108打点を記録。1987年はベストシーズンで、打率.308、本塁打47、打点134を記録。新人で49本塁打を記録したマーク・マグワイアに2本及ばず、本塁打王は逃したが、打点王を獲得し、アメリカンリーグMVPに選ばれた[1]。ただし、チームはシーズン最後の7試合を全敗し、ほぼ手中に収めていた地区優勝を逃した。

この頃から膝の故障に悩まされ、元々守備力も低かったことから1988年指名打者(DH)としての起用も検討されたが拒否。しかし、当時の監督ジミー・ウィリアムズから「従わなければ罰金1,000ドルと無期限出場停止」と言われ、4月4日の開幕戦ではDHで起用されるが、この試合でブレット・セイバーヘイゲン(ロイヤルズ)からメジャー史上初の「開幕戦3本塁打」を記録。以後はレフトでも起用された。この年は97打点こそ記録したが、本塁打は前年の約半分の24本に終わる。翌1989年は5月28日に、ブルージェイズの当時の本拠地エキシビション・スタジアム最後の試合(ホワイトソックス戦)でサヨナラホームランを、6月5日には新球場スカイドーム(現在はロジャーズ・センター)のこけら落としとなった試合でホームランを放った。この年は104打点を記録したが18本塁打と、長打力は減少。チームはウィリアムス解任の後、シト・ガストン監督の下、2度目の地区優勝を果たしたが、チャンピオンシップシリーズでオークランド・アスレチックスに敗れ、念願のワールドシリーズ進出はならず。翌1990年を最後にフリーエージェント(FA)でシカゴ・カブスに移籍。

カブスでは1シーズンプレイしただけで、サミー・ソーサら2選手との交換トレードで、同じシカゴホワイトソックスに移籍。ホワイトソックスではDHでの起用が増え、2シーズンプレイした後、現役を引退した。

ブルージェイズはベルらが去った後、1992年に初のリーグ優勝、ワールドシリーズ制覇を成し遂げたが、ベルの方はワールドシリーズ出場はならなかった。ブルージェイズのファンは、ベルがホームランを打てば歓声を上げたが、エラーや凡ミスをするとブーイングを浴びせていた。

背番号11番はブルージェイズのエクセレント・ナンバー(準永久欠番)として顕彰されている。

2013年カナダ野球殿堂入りを果たした。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1981 TOR 60 168 163 19 38 2 1 5 57 12 3 2 0 0 5 1 0 27 1 .233 .256 .350 .606
1983 39 118 112 5 30 5 4 2 49 17 1 1 0 0 4 1 2 17 4 .268 .305 .438 .743
1984 159 641 606 85 177 39 4 26 302 87 11 2 0 3 24 2 8 86 14 .292 .326 .498 .824
1985 157 666 607 87 167 28 6 28 291 95 21 6 0 8 43 6 8 90 8 .275 .327 .479 .806
1986 159 690 641 101 198 38 6 31 341 108 7 8 0 6 41 3 2 62 15 .309 .349 .532 .881
1987 156 665 610 111 188 32 4 47 369 134 5 1 0 9 39 9 7 75 17 .308 .352 .605 .957
1988 156 657 614 78 165 27 5 24 274 97 4 2 0 8 34 5 1 66 21 .269 .304 .446 .750
1989 153 664 613 88 182 41 2 18 281 104 4 3 0 14 33 3 4 60 18 .297 .330 .458 .788
1990 142 608 562 67 149 25 0 21 237 86 3 2 0 11 32 7 3 80 14 .265 .303 .422 .725
1991 CHC 149 603 558 63 159 27 0 25 261 86 2 6 0 9 32 6 4 62 10 .285 .323 .468 .791
1992 CWS 155 670 627 74 160 27 0 25 262 112 5 2 0 6 31 8 6 97 29 .255 .294 .418 .712
1993 102 436 410 36 89 17 2 13 149 64 1 1 0 9 13 2 4 49 14 .217 .243 .363 .606
MLB:12年 1587 6586 6123 814 1702 308 34 265 2873 1002 67 36 0 83 331 53 49 771 165 .278 .316 .469 .785
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 編集

内野守備


二塁(2B) 三塁(3B)
























1984 TOR - 3 0 2 0 0 1.000
1985 - 2 0 1 0 0 1.000
1986 - 2 1 0 0 0 1.000
1987 1 1 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
MLB 1 1 0 0 0 1.000 8 1 3 0 0 1.000
外野守備


左翼(LF) 右翼(RF)
























1981 TOR 27 62 1 3 1 .955 18 31 3 0 1 1.000
1983 28 51 1 3 0 .945 6 10 0 0 0 1.000
1984 66 124 6 4 0 .970 90 168 4 5 1 .972
1985 157 318 13 11 3 .968 -
1986 147 268 17 10 1 .966 -
1987 148 249 15 11 2 .960 -
1988 149 251 8 15 1 .945 -
1989 134 257 4 10 1 .963 -
1990 106 224 3 5 1 .978 -
1991 CHC 146 249 6 10 0 .962 -
1992 CWS 15 27 0 1 0 .964 -
MLB 1123 2080 74 83 10 .963 114 209 7 5 2 .977
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 11(1981年 - 1991年)
  • 21(1992年 - 1993年)

脚注 編集

  1. ^ a b Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集