ズデニェク・スヴェラーク

ズデニェク・スヴェラーク(Zdeněk Svěrák、1936年4月28日 - )はチェコを代表する俳優で同時に脚本家・作家・舞台作家である。プラハ出身。

ズデニェク・スヴェラーク
Zdeněk Svěrák
ズデニェク・スヴェラーク Zdeněk Svěrák
生年月日 (1936-04-28) 1936年4月28日(87歳)
出生地 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア プラハ
職業 俳優、脚本家、劇作家
著名な家族 ヤン・スヴェラーク(息子)
テンプレートを表示

来歴 編集

カレル大学教育学部で国語と文学を専攻・修了。教鞭を執った後、1962年からはラジオ局で働いた。

1966年に、ヤーラ・チムルマンという架空のキャラクターをでっち上げラジオ放送をしたところ、視聴者の多くが実在の人物としてニュースを受け取るという出来事が発生した。ヤーラ・チムルマンは、チェコ人、文化、歴史に対する風刺的存在であったが、何でもできる存在があっという間に大人気になり、一躍チェコのヒーローになった。翌年1967年には、それをきっかけとしてヤーラ・チムルマン劇場という実在のシアターを設立した。1983年は、Jára Cimrman ležící, spící という映画を製作した。 2005年には「最も偉大なチェコ人」で1位に選ばれるという珍事が発生(架空の人物のため審査からは除外)。ブルノ市やオロモウツ市には、彼の胸像や彼の名前にちなんだ通りまでもある。

スヴェラークの実の息子で映画監督の ヤン・スヴェラークと共演した『コーリャ 愛のプラハ』(1996年)でアカデミー賞最優秀外国語映画賞と第9回東京国際映画祭グランプリを受賞する。90年代以降の作品では、親子での合作画多く、自分で脚本を書いた作品(単独・共同含む)には出演する。

エピソード 編集

2007公開の作品「Vratné Lahve(直訳:リサイクルビン)」の脚本が原因で親子喧嘩になり、一時絶縁状態だったがズデニェクが脚本を5回書き直し無事和解、映画完成に至った(この喧嘩について2004年に息子ヤンが「Tatínek(直訳:お父さん)」と題したドキュメンタリーを撮った)。

代表作品 編集

  • 『スイート・スイート・ヴィレッジ』Vesničko má středisková(1985年、脚本ズデニェク・スヴェラーク、監督イジー・メンツェル)
  • 『小学校』Obecná škola (1991年、脚本ズデニェク・スヴェラーク、監督ヤン・スヴェラーク)
  • コーリャ 愛のプラハ 』Kolya (1996年、脚本ズデニェク・スヴェラーク、監督ヤン・スヴェラーク)
  • ダーク・ブルー』Tmavomodrý svět(2001年、脚本ズデニェク・スヴェラーク、監督ヤン・スヴェラーク)
  • Vratné Lahve (2007年、脚本ズデニェク・スヴェラーク、監督ヤン・スヴェラーク)