セルタ・デ・ビーゴ

スペインのサッカークラブ

レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴスペイン語: Real Club Celta de Vigo, S.A.D.ガリシア語発音: [reˈal ˈkluβ ˈθelta ðe ˈβiɣo])は、スペインガリシア州ポンテベドラ県ビーゴに本拠地を置くサッカークラブ。2012-13シーズンからはプリメーラ・ディビシオンに所属している。

セルタ・デ・ビーゴ
原語表記 Real Club Celta de Vigo, S.A.D.
愛称 Celestesセレステス(空色)
Celtiñasセルティーニャス(小さなケルト人)
クラブカラー     水色
創設年 1923年
所属リーグ ラリーガ
所属ディビジョン 1部2023-24
昨季リーグ順位 13位(2022-23
ホームタウン ガリシア州の旗 ガリシア州ビーゴ
ホームスタジアム
バライードス
収容人数 35,000人
代表者 スペインの旗 カルロス・モウリーニョ
監督 スペインの旗 クラウディオ・ヒラルデス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要 編集

RCフォルトゥナ・デ・ビーゴスペイン語版レアル・ビーゴSCスペイン語版の合併により、1923年8月23日に設立された[1]。セルタは、プリメーラで50シーズン以上プレーした11クラブのうちの1つで、プリメーラ通算順位では11位に位置している[2]コパ・デル・レイでは、優勝経験はないものの、4回の準優勝と8回のベスト4進出を果たしている。欧州の舞台では、UEFAヨーロッパリーグ (UEFAカップ時代も含む)に8回出場しており、2016-17シーズンには準優勝も経験した。そのほかUEFAチャンピオンズリーグには1度だけの出場を、2000年にはクラブ史上唯一の国際タイトルであるUEFAインタートトカップ優勝を成し遂げた[3]

2014年に行われたCIS (スペインの社会情勢などを調査する会社)の調査によると、22,104人ものシーズンチケット保持者がおり、これはスペイン国内のサッカークラブで10番目の数である[4]。また、デポルティーボ・ラ・コルーニャとのクラブ間には激しいライバル関係があり、両者が顔を合わせる試合はガリシア・ダービーと呼ばれる[5]

歴史 編集

設立 編集

全国選手権でのより一層の成功を願い、ガリシア州ビーゴにあるいくつかのクラブが合併してより強力なクラブを作るという考えの下で、セルタ・デ・ビーゴが設立された。この運動の旗頭に立ったのはマヌエル・デ・カストロというスポーツライターであり、1915年から合併運動の必要性を記事に書き続けた。運動のスローガンはトド・ポル・イ・パラ・ビーゴ(Todo por y para Vigo、すべてはビーゴのために)であり、レアル・ビーゴ・スポルティングレアル・フォルトゥナFCの監督の支持を取り付けた。1923年6月22日にデ・カストロがマドリードで行われたスペインサッカー連盟(RSFF)の集会で自論を提案すると、満場一致で支持された。1923年7月12日、レアル・ビーゴ・スポルティングとRCフォルトゥナ・デ・ビーゴの年次集会がホテル・モデルノにあるオデオン劇場でそれぞれ開かれ、合併案は承認された。 このようにして現在のセルタが生まれ、「チーム・オブ・ガリシア」と呼ばれた。8月10日には新クラブ名が決められた。「レアル・ウニオン・デ・ビーゴ」、「クルブ・ガリシア」、「レアル・アトランティック」、「ブレオガン」、「レアル・クルブ・オリンピコ」など様々な名称が考案され、レアル・クルブ・オリンピコが人気を得たが、結局ガリシアと繋がりの深い「セルタ」(ケルトを参照)を用いたレアル・クラブ・セルタに決定した。セルタの初代会長はトーレ・セデイラ伯爵のマヌエル・バルセーナ・デ・アンドレスが務めた。総勢64人の選手たちも決定し、レアル・フォルトゥナFCやレアル・ビーゴ・スポルティングの著名な選手たちも含まれた。

  • GK: イシドロ、リロ、ルビド
  • DF: オテーロ、パサリン、フアニート・クレメンテ、ダニエル、カイト
  • MF: ハコボ・トーレス、バルビーノ、ケラルト、エルミーダ、ポンボ、クルセス、コルドバ、マシモ、ビエンベニード
  • FW: レイゴーサ、チアローニ、ポサーダ、ポロ、コレーア、ヘラルディート、ラモン・ゴンサレス、カリーデ、ピニージャ、サルバドール、チチャ、ミゲリート、カサル
  • 監督: フランシス・カギー

エウロセルタ 編集

1990年代後半から2000年代前半はセルタの歴史上もっとも好成績を残した期間である。1997-98シーズンにリーグ戦6位となって26年ぶりにUEFAカップ出場権を獲得すると、1998年夏には攻撃サッカーで知られるビクトル・フェルナンデス監督を招聘し、1998-99シーズンのUEFAカップではベスト8に躍進した。1997-98シーズンから2002-03シーズンまで6シーズン連続で7位以内でシーズンを終え、1998-99シーズンから5シーズン連続でUEFAカップに出場し、スペインメディアにエウロセルタ(EuroCelta)と呼ばれた。主要選手にはロシア代表アレクサンドル・モストヴォイヴァレリー・カルピンイスラエル代表ハイム・レヴィヴォなどがいた。

栄光からの転落 編集

2002-03シーズンにリーグ戦4位となり、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。ACミランAFCアヤックスクラブ・ブルッヘと同組となったグループリーグではAFCアヤックスを破る金星を挙げ、ACミランに次ぐ2位で決勝トーナメント進出を決めたが、決勝トーナメント1回戦ではアーセナルFCに2試合合計2-5で敗れた。リーグ戦では悲惨な成績に終わり、19位と不振を極めてセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。2004-05シーズンに2位となって1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を果たすと、2005-06シーズンは6位でUEFAカップ出場権を獲得した。2006-07シーズンのUEFAカップでは1回戦でスタンダール・リエージュを倒し、グループリーグではニューカッスル・ユナイテッドFCに次ぐ2位となって決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦ではベスト4となったヴェルダー・ブレーメンに敗れたが、セビージャFC(優勝)、RCDエスパニョール(準優勝)、CAオサスナ(ベスト4)とともにスペイン勢の躍進を印象付けた。しかし、同シーズンのリーグ戦では18位となり、またもや欧州カップ戦に出場したシーズンにセグンダ・ディビシオン降格となった。

ラ・リーガ復帰と欧州進出 編集

2012年6月3日、およそ5年間のセグンダ暮らしを経てプリメーラに復帰した。プリメーラ復帰1年目はリーグ序盤戦から苦戦を強いられるも、リーグ最終節のプリメーラ残留がかかった大一番、RCDエスパニョール戦に1-0で勝利し、辛くもプリメーラ残留を決めた。

2015-16シーズン、エウロセルタのメンバーだったエドゥアルド・ベリッソを監督に迎えた。このシーズン、イアゴ・アスパスダニエル・ヴァスらの活躍もあってリーグ6位フィニッシュと大健闘。UEFAヨーロッパリーグ出場権を手にした。そのヨーロッパリーグでも躍進を遂げ、ベスト16でシャフタール・ドネツクを、ベスト8でKRCヘンクを破って決勝進出が期待されたセルタだったが、そのベスト4で最終的に大会優勝を果たすマンチェスター・ユナイテッドFCに敗れ、惜しくも決勝進出とはならなかった。

ユニフォーム 編集

セルタのユニフォームが現在の配色となったのは、クラブ創設者の1人であるフアン・バリーニョ・レドの案だった。しかし、最初の試合で使われたユニフォームは赤いシャツに黒のズボンそして青と白のソックスだった。水色のユニフォームを初めて使用したのはBチームであり、その後トップチームもユニフォームを水色に変更した[6]

ユニフォームの変遷 編集

 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011-12
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012-13
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013-14
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014-15
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015-16
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016-17
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017-18
 
 
 
 
 
 
 
2019-19
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019-20

胸スポンサーとサプライヤー 編集

セルタはスペインの主要なサッカークラブで最も長く1社との胸スポンサー契約を続けているクラブである。1986年、ビーゴに工場を置き、ビーゴ最大の雇用者数を誇るシトロエンがユニフォームの胸スポンサーとなった[7]。その年からアンブロがユニフォームサプライヤーとなったが、アンブロもまたビーゴ近郊のレドンデーラに工場を置く企業である。

期間 サプライヤー 胸スポンサー
1982–1986 アディダス なし
1986–2010 アンブロ シトロエン
2010–2013 Li-Ning
2013–2016 アディダス
2016– Estrella Galicia

施設 編集

スタジアム 編集

セルタのホームゲームは、市街地から郊外へおよそ3kmの位置にあるエスタディオ・デ・バライードス (スポンサーの関係からアバンカ・バライードスとも呼ばれる)にて行われる。29,000人を収容でき、ピッチサイズは105×69メートルである。

 
スタジアム内にある公式ショップ

このスタジアムは、1928年12月30日、レアル・ウニオンとの試合で初めて使用され、その試合にはセルタが7-0で大勝した[8]。1920年代、クラブのサポーター数が急増したことで建築家のヘナロ・デ・ラ・フエンテ・アルバレス氏が設計し、何度かの計画変更を経て1928年に竣工した。完成当時は22,000人を収容する規模だった。全席座席タイプとなっており、座席1つ1つに管理番号が振られている[9]

1930年代に大規模な改修が行われ、1945年7月にはスタジアムの所有権をセルタが買い取り、正式にクラブの所有物となった。それ以降、定期的にスタジアムの改修、修繕が行われた。1982年、国内で1982 FIFAワールドカップが開かれることを機に、スタジアムをUEFAの基準に合わせる工事が計画され、西側スタンドの座席をより快適な座席に一新した。この頃の収容人数は38,000人を誇るなど、かなり大規模なスタジアムだったが、1990年代に課された立ち見席撤廃の方針により、収容人数が減らされ、現在の22,000人に落ち着いた[10]

2003年の夏、セルタが史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ参戦が決まり、それに合わせてUEFA規定のスタジアムに再度改修することが発表された。ポンテベドラ県が費用を全額負担して行われ、ロッカールーム、ミックスゾーン、通路などが主な改善点だった。また、ピッチを取り囲む溝を埋め、スタンドとピッチが近くなる、いわゆるイングランドスタイルのスタジアムへと変更された[11]

スポーツ施設 編集

 
エスタディオ・バレーロ

セルタがエスタディオ・バライードス以外に使用している施設には、シウダ・デポルティーバ・アフォウテサと呼ばれるトレーニンググラウンドがある。ビーゴに隣接するモスにあり、セルタのトップチームとBチームがトレーニングを行うために使用される[12]。また、ビーゴ市内のカンデアン地区にはBチーム以下のカンテラーノが練習場として訪れるア・マドロアスポーツ複合施設がある。

また、同じくビーゴ市内のラバドレス地区にはBチームがホームスタジアムとしてプレーするカンポ・ムニシパル・デ・バレーロがある。小規模なスタジアムであり、収容人数は1,171人で、ピッチサイズも101×66メートルほどしかない。

クラブ記録 編集

クラブ名の変遷 編集

クラブ創設以降、数回の名称変更が行われている。現在のRCセルタ・デ・ビーゴ S.A.D.となったのは1992年以降のことである。

  • クルブ・セルタ : (1923-1924) レアル・ビーゴSCとRCフォルトゥナ・デ・ビーゴの合併後に考えられたクラブ名
  • レアル・クルブ・セルタ : (1924-1931) 当時のスペイン国王アルフォンソ13世から"レアル"の名を与えられて改名された。
  • クルブ・セルタ : (1931-1940) スペインが共和国になったため、王を意味する単語は取り除かれた。
  • レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴ : (1940-1992) スペイン内戦を経て王政復古がなされたため、レアルの名を再び取りつけた。
  • レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴ, S.A.D. : (1992-) 株式会社化。S.A.D.はスポーツ株式会社を意味する。

選手記録 編集

現在、クラブに所属している選手で最も多くの公式戦に出場した選手はウーゴ・マージョである。クラブ通算では歴代3位の記録を誇っており、現在も更新し続けている。また、イアゴ・アスパスは、セルタの歴代最多得点記録を保持している選手であり、歴代2位のラモン・ポロの159ゴールとの差を広げ続けている。

クラブカラーとバッジ 編集

設立時のセルタは赤いシャツ、黒いパンツ、青いソックスを着用していた。この組み合わせは後に変更され、ガリシア州旗に象徴される空色と白色の伝統的な組み合わせが採用されたが、いつ変更されたのかは定かではない。ラシン・フェロルなどガリシア州の多くのクラブと同じく、クラブのバッジは聖ジェームズの赤十字を基調としており、十字の上にはCS(Club Celtaの頭文字)とデザインされた青色の盾が置かれている。1923年にはアルフォンソ13世の庇護を受け、バッジに王冠を抱き、クラブ名にレアルを加えてレアル・クラブ・セルタ・デ・ビーゴとなった。スペイン内戦時はクラブ名から「レアル」が取り除かれ、王冠も外されたが、王政復古後に再び付けくわえられた。

ライバル 編集

同じガリシア州のデポルティーボ・ラ・コルーニャとの対戦はガリシア・ダービーと呼ばれる。

2017-18シーズン開始時点
クラブ 試合数 得点 失点
デポルティーボ・ラ・コルーニャ 76 30 18 28 101 105

タイトル 編集

国内タイトル 編集

  • ガリシア州選手権 [13]
優勝 (6): 1923-24, 1924–25, 1925–26, 1929–30, 1931–32, 1933–34
  • アストゥル=ガリェゴ選手権
優勝 (1): 1934-35
  • コパ・フンタ・デ・ガリシア
優勝 (2): 2007, 2008

国外タイトル 編集

優勝 (1): 2000

プレシーズンタイトル 編集

  • トロフェオ・シウダ・デ・ビーゴ
優勝 (17):
  • トロフェオ・メモリアル・キノーチョ
優勝 (14): 1995, 1996, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010
優勝 (1): 1999
  • トロフェオ・ハコベオ
優勝 (1): 1999

個人タイトル 編集

ピチーチ賞 編集

サモラ賞 編集

成績 編集

近年の成績 編集

シーズン リーグ 国王杯
ディビジョン 順位 備考
2012-13 プリメーラ 17位 38 10 7 21 37 52 37 ベスト16
2013-14 8位 38 14 7 17 49 54 49 ベスト32
2014-15 8位 38 13 12 13 47 44 51 ベスト16
2015-16 6位 38 17 9 12 51 59 60 ベスト4
2016-17 13位 38 13 6 19 53 69 45 ベスト4
2017-18 13位 38 13 10 15 59 60 49 ベスト16
2018-19 17位 38 10 11 17 53 62 38 ベスト32
2019-20 17位 38 7 16 15 37 49 37 ベスト32
2020-21 8位 38 14 11 13 55 57 53 2回戦敗退
2021-22 11位 38 12 10 16 43 43 46 ベスト32
2022-23 13位 38 11 10 17 43 53 43 ベスト32
2023-24 38

過去の成績 編集

シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1923-24 ガリシア州1部 1位 ベスト8
1924-25 1位 ベスト4
1925-26 1位 ベスト4
1926-27 2位 ベスト8
1927-28 2位 ベスト8
1928-29 2 セグンダ 9位 ベスト32
1930-31 3 テルセーラ 1位 ベスト32
1931-32 2 セグンダ 9位 ベスト4
1932-33 7位 ベスト32
1933-34 4位 ベスト16
1934-35 1位 ベスト16
1935-36 1位 ベスト16
1939-40 1 プリメーラ 10位 ベスト16
1940-41 10位 ベスト4
1941-42 5位 1回戦敗退
1942-43 5位 ベスト16
1943-44 14位 ベスト16
1944-45 2 セグンダ 3位 1回戦敗退
1945-46 1 プリメーラ 10位 ベスト16
1946-47 9位 ベスト8
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1947-48 1 プリメーラ 4位 準優勝
1948-49 11位 ベスト16
1949-50 7位 ベスト16
1950-51 8位 1回戦敗退
1951-52 9位 1回戦敗退
1952-53 13位 不参加
1953-54 10位 ベスト16
1954-55 11位 ベスト16
1955-56 10位 ベスト16
1956-57 13位 ベスト8
1957-58 7位 ベスト16
1958-58 16位 ベスト16
1959-60 2 セグンダ 2位 1回戦敗退
1960-61 2位 ベスト32
1961-62 6位 ベスト32
1962-63 6位 1回戦敗退
1963-64 9位 ベスト16
1964-65 5位 ベスト32
1965-66 2位 ベスト32
1966-67 3位 1回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1967-68 2 セグンダ 3位 ベスト4
1968-69 2位 不参加
1969-70 1 プリメーラ 10位 ベスト16
1970-71 6位 ベスト16
1971-72 10位 ベスト8
1972-73 15位 ベスト16
1973-74 12位 ベスト32
1974-75 17位 ベスト16
1975-76 2 セグンダ 2位 ベスト16
1976-77 1 プリメーラ 17位 ベスト16
1977-78 2 セグンダ 3位 3回戦敗退
1978-79 1 プリメーラ 16位 ベスト16
1979-80 2 セグンダ 17位 ベスト16
1980-81 3 セグンダB 1位 3回戦敗退
1981-82 2 セグンダ 1位 3回戦敗退
1982-83 1 プリメーラ 17位 ベスト16
1983-84 2 セグンダ 6位 1回戦敗退
1984-85 3位 3回戦敗退
1985-86 1 プリメーラ 18位 ベスト8
1986-87 2 セグンダ 1位 3回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1987-88 1 プリメーラ 7位 ベスト16
1988-89 8位 ベスト8
1989-90 19位 ベスト16
1990-91 2 セグンダ 14位 5回戦敗退
1991-92 1位 3回戦敗退
1992-93 1 プリメーラ 11位 3回戦敗退
1993-94 15位 準優勝
1994-95 13位 4回戦敗退
1995-96 11位 ベスト16
1996-97 16位 ベスト4
1997-98 6位 ベスト16
1998-99 5位 ベスト16
1999-00 7位 ベスト16
2000-01 6位 準優勝
2001-02 5位 ベスト32
2002-03 4位 ベスト32
2003-04 19位 ベスト8
2004-05 2 セグンダ 2位 ベスト64
2005-06 1 プリメーラ 6位 ベスト16
2006-07 1 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
2007-08 2 セグンダ 16位 2回戦敗退
2008-09 17位 ベスト32
2009-10 12位 ベスト16
2010-11 6位 2回戦敗退
2011-12 2位 ベスト32
2012-13 1 プリメーラ 17位 ベスト16
2013-14 9位 ベスト32
2014-15 8位 ベスト16
2015-16 6位 ベスト4
2016-17 13位 ベスト4
2017-18 13位 ベスト16
2018-19 17位 ベスト32
2019-20 17位 ベスト32
2020-21 8位 2回戦敗退
2021-22 11位 ベスト32
2022-23 13位 ベスト32
2023-24

現所属メンバー 編集

2024年1月31日現在[14]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   カール・スタルフェルト
3 DF   オスカル・ミンゲサ
4 DF   ウナイ・ヌニェス
5 MF   レナト・タピア ( )
6 FW   カルロス・ドトール
7 FW   カルレス・ペレス
8 MF   フラン・ベルトラン
9 FW   タデオ・アジェンデ ( )
10 FW   イアゴ・アスパス  
11 FW   フランコ・セルビ ( )
12 FW   アナスタシオス・ドゥヴィカス
13 GK   イバン・ビジャール
No. Pos. 選手名
14 MF   ルカ・デ・ラ・トレ ( )
15 DF   ジョセフ・エイドゥー
16 MF   ジャイウソン
17 FW   ジョナタン・バンバ ( )
18 FW   ヨルゲン・ストランド・ラーセン
19 MF   ヴィリオット・スウェドベリ
20 DF   ケビン・バスケス
21 DF   ミハイロ・リスティッチ ( )
22 DF   ハビエル・マンキージョ
23 DF   マヌ・サンチェス
24 FW   ミゲル・ロドリゲス
25 GK   ビセンテ・グアイタ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

リザーブチーム 編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
28 DF   カルロス・ドミンゲス
30 MF   ウーゴ・ソテロ
No. Pos. 選手名
33 FW   ウーゴ・アルバレス

ローン移籍 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
4 DF   ウナイ・ヌニェス (アスレティック・ビルバオ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ホセ・フォンタン (カルタヘナ)
-- DF   セルヒオ・カレイラ (エルチェ)
-- MF   ミゲル・バエサ (ミランデス)
No. Pos. 選手名
-- FW   フレン・ロベテ (アンドラ)
-- FW   ラウタロ・デ・レオン (ミランデス)
-- FW   ゴンサロ・パシエンシア (ボーフム)

スタッフ 編集

役職 氏名
監督   クラウディオ・ヒラルデス
GKコーチ   ナンド・ビジャ
フィジカルコーチ   オクタビオ・マネーラ
  ギド・クレターリ
テクニカルコーチ   ボルハ・オウビーニャ

歴代監督 編集

歴代所属選手 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集

関連項目 編集

関連する書物 編集

  • González Villar, Celso (Galician). Albores do fútbol Vigues 
  • Cros, Jaime (1973) (Spanish). El Celta y la Liga. ムルシア: APANDA de Artes Gráficas, S.A.. ISBN 8460558517 
  • Cros, Jaime (1974) (Spanish). Celta 74 
  • Álvarez, Eugenio (2004) (Spanish). A historia do Celta (1992-2004). ビーゴ. pp. 272 
  • Ball, Phil (2001). “Raining Champions”. Morbo: The Story of Spanish Football. キングス・リン: WSC Books. pp. 165–181. ISBN 0954013468 

脚注 編集

  1. ^ Vigo Sporting y Fortuna, los precursores del Celta”. Moiceleste.com (2011年8月23日). 2021年3月14日閲覧。
  2. ^ Estadísticas LaLiga Santander”. ラ・リーガ公式サイト. 2021年3月14日閲覧。
  3. ^ El Celta ganaba la Intertoto tal día como hoy” (スペイン語). ラ・ボス・デ・ガリシア (2017年8月22日). 2021年3月14日閲覧。
  4. ^ Barómetro de junio de 2014”. CIS. 2021年3月14日閲覧。
  5. ^ Historia e historias del derbi gallego” (スペイン語). エル・パイス (2017年12月22日). 2021年3月14日閲覧。
  6. ^ Todo por y para Vigo” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2013年8月23日). 2021年3月14日閲覧。
  7. ^ El Celta contempla otros patrocinios para su equipaje tras dos décadas con Umbro farodevigo.es、2010年3月23日
  8. ^ Una fecha histórica” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2019年6月9日). 2021年3月14日閲覧。
  9. ^ ALGUNOS APUNTES SOBRE LA HISTORIA DE BALAÍDOS” (スペイン語). VigoEmpresa.com. 2021年3月14日閲覧。
  10. ^ “[http://www.vigoempresa.com/asi-habla-balaidos-un-articulo-de-fernando-rey-tapias/ ASÍ HABLA BALAIDOS… Un artículo de Fernando Rey Tapias]” (スペイン語). VigoEmpresa.com. 2021年3月14日閲覧。
  11. ^ Balaídos estrena "maquillaje" en el partido contra el Wigan” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2012年8月11日). 2021年3月14日閲覧。
  12. ^ Afouteza: el Celta estrena su nueva Ciudad Deportiva en Mos esta semana” (スペイン語). treintayseis (2020年11月25日). 2021年3月14日閲覧。
  13. ^ Spain - List of Champions of Galicia RSSSF
  14. ^ PLANTILLA” (スペイン語). Celta de Vigo. 2023年9月2日閲覧。
  15. ^ ただし、Bチーム。

外部リンク 編集