ソフィー・マルソー

フランスの女優

ソフィー・マルソー(Sophie Marceau、1966年11月17日 - )は、フランス女優パリ出身。

ソフィー・マルソー
Sophie Marceau
Sophie Marceau
仏映画『La Taularde』公開初日舞台挨拶にて (2016年9月)
本名 Sophie Danièle Sylvie Maupu
生年月日 (1966-11-17) 1966年11月17日(57歳)
出生地 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
身長 173cm
職業 女優・監督
ジャンル 映画
活動期間 1980年 -
活動内容 1980年:映画デビュー
1995年:米国進出
配偶者 アンジェイ・ズラウスキー(1995年 - 2001年)
主な作品
ラ・ブーム』シリーズ
ソフィー・マルソー/恋にくちづけ
狂気の愛
ソフィー・マルソーの刑事物語
ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて
スチューデント
ソフィー・マルソーの愛人日記
ブレイブハート
007 ワールド・イズ・ノット・イナフ
女写真家ソフィー
聞かせてよ、愛の言葉を
マーガレットと素敵な何か
すべてうまくいきますように英語版
 
受賞
セザール賞
有望女優賞
1983年ラ・ブーム2
その他の賞
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経歴 編集

 
仏映画『Arrêtez-moi』公開初日舞台挨拶にて (2013年2月)

13歳の時にオーディションで数百人の中から選ばれた[1]ラ・ブーム』の主役でデビューし、一躍トップ・アイドルとなった。実名とイニシャルを変えないように、マルセル・マルソーから姓を採った。

西洋人ながら、ややアジア人に似た外見が特徴で、これは本人も認めるところである[2][3]。また、イザベル・アジャーニに似ているともいわれた[4][5]

フランスでの人気は高く、女優部門で51%の支持を集めトップになった[6]とも、 最も売れている女優である[7]ともされている。

デビュー以前 編集

フランスのパリ近郊シェルに、トラック運転手の父と、パリのデパート店員と掛け持ちでブラッスリーを営む母の第2子として生まれ、ジャンティイで育つ[8][9]。兄が一人いる。平日は家族のブラッスリーを手伝い、週末はエソンヌ県ヴェール=ル=プチ (en fr) にある家で過ごした。 両親は9歳のときに離婚している[10]

キャリアのはじまり 編集

1980年2月、母と共に10代を探しているモデル事務所を偶然見つけ、写真を撮ったが声がかかることは期待していなかった。 そのころ、クロード・ピノトー監督の『ラ・ブーム』でキャスティングディレクターをしていたフランソワーズ・メニドレイ (Françoise Menidrey) がモデル事務所に新人を推薦するよう声をかけて回っていた。短時間で宣材を見たあと、ゴーモンの社長アラン・ポワレフランス語版は長期契約にサインした。 『ラ・ブーム』はフランスで入場券450万枚の売り上げを記録する[11]に留まらず、他のヨーロッパ諸国[11]や日本を含めたアジア[12]でもヒットとなった。

1981年に、ピエール・ドラノエ作の"Dream in Blue"でフランソワ・ヴァレリーフランス語版とデュエット、歌手デビューした。

初期 編集

 
若き日のソフィー & アンジェイ・ズラウスキー (1988年6月)

1982年、16歳のとき、ゴーモンと100万フランで再び契約を結ぶ[13]。 同年の続編『ラ・ブーム2』でセザール賞最優秀新人女優賞を受賞した。

「『好奇心にあふれているけれど、とりあえず無垢な女の子』でいてくれたのは、この二作ぐらいまで。」「この後、どんどん大胆な役にチャレンジ」[1]しはじめる。 1984年『フォート・サガン』でジェラール・ドパルデューカトリーヌ・ドヌーブと共演。 1985年『狂気の愛』は後にパートナーとなるアンジェイ・ズラウスキーとの初の作品。 1986年『デサント・オ・ザンファー 地獄に堕ちて』で『ラ・ブーム』の父親役と歳の離れた夫婦を演じる。 1988年に『ラ・ブーム』と同じ監督で『スチューデント』、また『ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて』でカブールにおける国際ロマンチック映画祭最優秀ロマンチック女優賞を受賞[14]

1991年にはEurydice (fr) で舞台に挑戦、モリエール賞 (en) の最優秀新人女優賞を受賞[13]

娯楽性の強い1993年のコメディ映画『恋人たちのアパルトマン』や1994年の『ソフィー・マルソーの三銃士』はヨーロッパやそれ以外でも人気を博した。同年、舞台にも復帰し『ピグマリオン』でイライザを演じた[14]

英語圏への進出 編集

 
1996年
 
2005年
 
クリストフ・ランベール & ソフィー (2012年10月)

英語をマスターし[15]、 英語圏の映画に出演し英米で知られるようになるのは1995年メル・ギブソン監督『ブレイブハート』のイザベラ王女から[16]。 1997年、ウィリアム・ニコルソンがイギリスで撮影した『ファイアーライト』、ヴェラ・ベルモン (fr) がフランスで撮影した『女優マルキーズ』 (fr)、バーナード・ローズがロシアで撮影した『アンナ・カレーニナ』と立て続けに主演する。 1999年には悪役のボンドガールであるエレクトラ・キングを『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』で演じる。 当時のパートナー、アンジェイ・ズラウスキーとは2000年に再び『女写真家ソフィー』で組み、カブールの国際ロマンチック映画祭で再び最優秀ロマンチック女優賞を受賞[14]。 21世紀に入っても女優活動は盛んで、2008年のLOL (Laughing Out Loud)はフランスでヒットした。高級宝飾品ブランド「ショーメ」(en fr) の広告ではモデルと監督をしている。

著述・監督 編集

1996年に、半自伝的小説Menteuse(邦訳『うそをつく女』2000年、草思社。英訳Telling Lies、2001年)を刊行、一人称の主人公は誇り高く率直で、しかしそのために脆く残酷な女優である[17]。名前を明かさない主人公によって、記憶と空想と印象に満ちた世界に誘われる。作品は「女性のアイデンティティの探求」と評され[10]、フランスでは大きくとりあげられた[17]

1995年に短編映画L'Aube à l'enversで映画初監督、ジュディット・ゴドレーシュの主演になる。

2002年、同じ主演による長編映画監督としてのデビュー作『聞かせてよ、愛の言葉を』(en fr) をモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞で飾る。脚本・主演もした『ソフィー・マルソーの過去から来た女』は2006年の作品で、2008年に開催された東京のフランス映画祭のオープニングを飾った。

社会貢献活動 編集

病気を患っている子どもたちを対象に、その子らの夢の実現を応援するフランスの団体「Arc-en-Ciel(虹)」で活動している[18]

私生活 編集

17年にわたり26歳年上の映画監督のアンジェイ・ズラウスキーと生活を共にし、1995年には息子をもうけている[9]。2001年に離別し、プロデューサーのジム・レムリー (fr) と同居、のち2002年に娘をロンドンで出産している[9]。2007年以降は『ソフィー・マルソーの過去から来た女』で主役にすえたクリストファー・ランバートと恋人関係にある。

出演作品 編集

映画・テレビ 編集

公開年 邦題
原題
役名 備考
1980年 ラ・ブーム
La Boum
ビック
1982年 ラ・ブーム2
La Boum 2
ビック
1984年 フォート・サガン
Fort Saganne
マドレーヌ
1985年 ソフィー・マルソー/恋にくちづけ
Joyeuses Pâques
ジュリー
狂気の愛
L'Amour braque
マリー
ソフィー・マルソーの刑事物語
Police
ノリア 日本ではVHSスルー、後にDVD化
別邦題『ポリス』
1986年 デサント・オ・ザンファー 地獄に堕ちて
Descente aux enfers
ローラ
1988年 ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて
Chouans !
セリーヌ 日本ではVHSスルー
スチューデント
L'Étudiante
ヴァランティーヌ・エスケラ
1989年 私の夜はあなたの昼より美しい
Mes nuits sont plus belles que vos jours
ブランチ
1990年 パシフィック通り
Pacific Palisades
ベルナデット
熱砂に抱かれて
Pour Sacha
ラウラ
1991年 ソフィー・マルソーの愛人日記
La Note Bleue
ジョルジュ・サンドの娘ソランジュ 日本ではVHSスルー、後にDVD化
1993年 恋人たちのアパルトマン
Fanfan
ファンファン
1994年 ソフィー・マルソーの三銃士
La Fille de d'Artagnan
エロイーズ・ダルタニャン
1995年 ブレイブハート
Braveheart
イザベラ・オブ・フランス
愛のめぐりあい
Al di là delle nuvole
少女 オムニバス映画
1997年 アンナ・カレーニナ
Anna Karenina
アンナ・カレーニナ
女優マルキーズ
Marquise
マルキーズ
ファイアーライト
Firelight
エリザベス・ローリエ
1999年 ライラ/フレンチKISSをあなたと
Lost & Found
ライラ 日本ではVHS、DVDスルー
テレビ放映時の邦題は『ロスト・アンド・ファウンド』
真夏の夜の夢
A Midsummer Night's Dream
ヒッポリュテー
007 ワールド・イズ・ノット・イナフ
The World Is Not Enough
エレクトラ・キング
2000年 女写真家ソフィー
La Fidélité
クレリア 日本ではVHS、DVDスルー
フランス映画祭上映邦題『フィデリテ』
2001年 ルーヴルの怪人
Belphégor, Le fantôme du Louvre
リザ
2003年 あなたにも書ける恋愛小説
Alex & Emma
ポリーナ・ドラクロワ
ソフィー・マルソーの愛人〈ラマン〉
Je reste !
マリー=ドミニク・デルピール 日本ではDVDスルー
2004年 今夜ね(あとでね)
À ce soir
ネリー 日本ではTV5MONDEで放映
2005年 アントニー・ジマー
Anthony Zimmer
キアラ 日本ではDVDスルー
2007年 ソフィー・マルソーの過去から来た女
La Disparue de Deauville
ヴィクトリア・ベヌッティ 監督・脚本・出演
日本ではDVDスルー
2008年 レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち
Les femmes de l'ombre
ルイーズ 日本ではDVDスルー
LOL 〜愛のファンタジー〜
LOL (Laughing Out Loud)
アンヌ 日本ではDVDスルー
ベッドの反対側
De l'autre côté du lit
アリアーヌ 日本ではTV5MONDEで放映
2009年 ダブルフェイス 秘めた女
Ne te retourne pas
ジャンヌ 日本ではDVDスルー
カルタヘナ 〜陽だまりの絆〜
L'homme de chevet
ミュリエル 日本ではDVDスルー
2010年 マーガレットと素敵な何か
L'Âge de raison
マーガレット
2011年 知られざるフランスの自然
La France Sauvage
ナレーション 10回のTVドキュメンタリー・シリーズ
日本ではTV5MONDEで放映
2012年 恋するパリのランデヴー
Un bonheur n'arrive jamais seul
シャルロット 日本ではDVDスルー
天才ピアニストの軌跡
Le Cerveau d'Hugo
ナレーション 日本ではTV5MONDEで放映
2013年 コンフェッション -時効前夜の告白-
Arrêtez-moi
被告 日本ではDVDスルー
WOWOW放映時の邦題は『時効前夜〜ある女の告白〜』
2014年 ソフィー・マルソーの秘められた出会い
Une rencontre
エルザ 日本ではWOWOWで放映
ソフィー・マルソーのSEX,LOVE&セラピー
Tu veux ou tu veux pas
ジュディット 日本ではDVDスルー
2016年
La Taularde
マチルド
2018年
Mme Mills, une voisine si parfaite
エレーヌ・メルシエ
2021年
Tout s'est bien passé
エマニュエル
2022年 ソフィー・マルソーの復讐の矢
Une femme de notre temps
ジュリアン 日本ではWOWOWで放映

I Love America
リサ
2023年 すべてうまくいきますように英語版
Everything Went Fine
エマニュエル

舞台 編集

監督映画 編集

著書 編集

  • ソフィー・マルソー 著、金子ゆき子 訳『うそをつく女』草思社、2000年2月。ISBN 4-7942-0941-X 
    Sophie Marceau (1996). Menteuse. Paris: Editions Stock の邦訳(原題は「うそつき」の女性形)

受賞・受勲 編集

日本での活動 編集

主要な物のみ

映画祭 編集

テレビ番組 編集

  • 『岸惠子の時代気分』(tvk) - 女優・岸惠子が司会の1対1のトーク番組でパリロケの回のゲスト。フランス語通訳は岸自身が担当した。

広告 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『うそをつく女』の佐藤友紀による解説
  2. ^ 「当時、私は広告代理店と仕事をすることが多かった。得意先はもっぱら日本人と韓国人。アジア人にそっくりの目と浅黒い肌をした私は、日本の桜のように満開を迎えた女の子、日本語で言うところの、<かわいい>女の子。」(『うそをつく女』48-49頁)
  3. ^ 『ラ・ブーム2』ではカルトランジュの写真を見せあった相手が「中国人みたいだ」という場面がある。
  4. ^ 「中国人みたいだ」という場面の直後に「アジャーニの妹みたいだ」とも言っている。
  5. ^ 「その端正な美少女ぶりはイザベル・アジャーニに似てもいた」(小藤田千栄子「“離婚時代”を反映した青春映画の佳作」『キネマ旬報』第832巻1982年3月下旬号、76-77頁。 
  6. ^ 時事通信の伝える仏紙「パリジャン」の2009年の調査。ソフィー・マルソー人気健在”. 時事通信. 2010年3月20日閲覧。
  7. ^ 仏紙「フィガロ」が2009年にフランスでもっとも収入の多かった俳優を調査。290万ユーロ。男優のJean Dujardin (en fr), Dany Boom (en fr) に次ぐ。
    • Lutaud, Lena (Vendredi 26 Février 2010). “Jean Dujardin, l'acteur le mieux payé du cinéma français; EXCLUSIF « Le Figaro » publie son palmarès annuel des stars que s'arrachent les producteurs.”. Le Figaro 
    • Lutaud, Lena (Vendredi 26 Février 2010). “LES DIX COMÉDIENNES LES PLUS CHÈRES”. Le Figaro 
    • AFPの配信による記事は[1][2][3][4][5] などでも確認できる。
  8. ^ “Sophie Marceau: Fatal attraction”. The Independent. (2008年6月21日). http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/sophie-marceau-fatal-attraction-850871.html 2010年4月4日閲覧。 
  9. ^ a b c Sophie Marceau Biography (1966–)”. Film Reference. 2010年12月15日閲覧。
  10. ^ a b Billen, Andrew (2001年6月10日). “Lies and loves of ma belle Marceau”. Sunday Herald 
  11. ^ a b キネマ旬報(八森稔「クロード・ピノトー監督インタビュー」『キネマ旬報』1982年3月下旬号、78-80頁。 )ではイタリア・スイス・ドイツをあげている。
  12. ^ IMDbのフォーラムDreams are my reality - Was it a hit in your countries ?ではフィリピン・台湾・香港からヒットだったと報告がある。
  13. ^ a b Sophie Marceau - Biography - IMDb
  14. ^ a b c Sophie Marceau - BiFi
  15. ^ 佐藤友紀(「解説−正直な心の風景」、ソフィー・マルソー『うそをつく女』に収録)によれば、個人教授と語学学校通いをしたという。
  16. ^ 「今見ると『ブレイブハート』の英語はひどいけど、怖いとは思わなかった。英語は演技するにはしやすい言葉よ。」(アンナ・カレーニナ日本公開時のインタビュー、鉄屋彰子「Face: ソフィー・マルソー」『キネマ旬報』1998年5月上旬号、15-16頁。 
  17. ^ a b 『うそをつく女』の金子ゆき子による訳者あとがき
  18. ^ Association Arc-En-Ciel”. 2011年9月28日閲覧。

外部リンク 編集