チェイス・アトリー

アメリカの野球選手 (1978 - )

チェイス・キャメロン・アトリーChase Cameron Utley, 1978年12月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ出身の元プロ野球選手二塁手)。右投左打。愛称はシルバー・フォックス[1]ザ・マン (The Man)。

チェイス・アトリー
Chase Utley
ロサンゼルス・ドジャースでの現役時代
(2016年5月29日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州パサデナ
生年月日 (1978-12-17) 1978年12月17日(45歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手
プロ入り 2000年 MLBドラフト1巡目
初出場 2003年4月4日
最終出場 2018年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年

名前は、日本語メディアではチェース・アットリーなどの表記も見られる。

走攻守に秀でた、2000年代のMLBを代表する二塁手のひとり[2]。フィリーズの主軸を担ったスター選手で、そのルックスから女性人気が高い[3]

経歴 編集

プロ入り前 編集

カリフォルニア州パサデナ生まれ。幼少期は同州ロサンゼルスに本拠地を置くロサンゼルス・ドジャースのファンで、そのドジャースが出場した1988年のワールドシリーズ第2戦を会場のドジャー・スタジアムで観戦している[4]。当時から研究熱心で、12歳から15歳の頃には憧れのジム・トーミなど一流選手の打撃フォームを研究しながらバッティングセンターで毎日打撃練習していた[5]。同州ロングビーチロングビーチ・ポーリーテクニック高等学校英語版に進学後、1997年にドジャースからMLBドラフト2巡目(全体76位)指名を受けたが、契約せずカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA)に進学する。本人によれば「確かにプロ野球は夢だったけど、人間的に成長するためには大学へ行くことが必要だと思った」という[4]

UCLAでは1年目は遊撃手として、2年目からは二塁手として、通算で179試合に出場して打率.342・53本塁打・174打点を記録[6]。ルームメイトのギャレット・アトキンスとともに[7]、チームの主軸として活躍した。

プロ入りとフィリーズ時代 編集

2000年MLBドラフト1巡目(全体15位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名を受けると、契約を締結し念願のプロ入りを果たす。同年に傘下のA-級バタビア・マックドッグス英語版でプロデビューし、40試合に出場して打率.307・出塁率.383という成績を残した。

2001年にはA+級クリアウォーター・フィリーズ英語版に昇格。一時は外角の速球がなかなか打てずに苦しんだが[8]、最終的には16本塁打(チームトップタイ)・120安打(同2位)を記録し、マイナーリーグのオールスター "フューチャーズゲーム" アメリカ合衆国選抜の一員に選ばれている。

2002年はAA級レディング・フィリーズを飛び越してAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズに昇格。そこではスコット・ローレンの後釜としての期待から、これまでの二塁手から三塁手へとコンバートされ1シーズンを過ごす[9]。ローレンはこの年の夏にセントルイス・カージナルストレードされるが、アトリーは翌2003年スプリングトレーニングで二塁手へ戻された[10]

2003年のシーズン開幕をメジャーで迎えたアトリーは、4月4日のピッツバーグ・パイレーツ戦に代打として初出場。ジェフ・スーパンの前に空振り三振に倒れる[11]。初の先発は同月24日のコロラド・ロッキーズ戦で、「8番・二塁手」として出場したアトリーは、3回裏にアーロン・クックからメジャー初本塁打となる満塁本塁打を放っている[12]。この年はメジャー定着とはならなかったが、AAA級スクラントン・ウィルクスバリで113試合に出場して打率.323・OPS.907の好成績を残し、同級のオールスターゲームに選出された。

2004年は開幕をAAA級スクラントン・ウィルクスバリで迎え、フィリーズの正二塁手プラシド・ポランコの故障に伴い5月上旬にメジャーへ昇格、その後6月中旬にマイナーへ戻されるも、同月下旬にメジャー再昇格を果たす[13]。そこからはシーズン最後までメジャーに定着し94試合に出場、打率.266・13本塁打・57打点を記録した。

2005年はシーズン開幕から、相手の先発投手が右腕だったときの先発二塁手として起用される[5]。そこで実績を残すとチームは6月、救援投手陣強化のためデトロイト・タイガースからウーゲット・ウービナをトレードで獲得し、見返りとしてアトリーと併用していたポランコを放出。これにより、アトリーが正二塁手となった。当初は主に5番から7番を担っていたアトリーだが、7月中旬ごろからは打線の中軸として3番打者を任されることも多くなる。最終的にこの年は147試合に出場し、打率.291・28本塁打・105打点という成績を収める。28本塁打のうち26本は二塁手として出場したとき記録したもので、これは球団タイ記録である[14]

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出される[15]。同大会では4試合に出場し、打率.385を記録した。

レギュラーシーズンでは、6月23日から8月3日にかけてメジャー史上10位タイとなる35試合連続安打を達成し注目を集める[16]。この間、7月には全試合で安打を放ち月間MVPを受賞、オールスターにも初めて選出された。シーズン通算では3割・30本塁打・100打点のほか、200安打やリーグ最多得点を記録するなど軒並み成績を伸ばし、シーズン終了後にシルバースラッガー賞を初受賞した[3]。また、日米野球にもチームメイトのライアン・ハワードらと共に参加している。

 
2007年のスプリングトレーニングで本塁打を放つ

2007年1月21日にフィリーズと総額8,500万ドルの7年契約を結んだ。GMパット・ギリックは「我々は長期契約を好んでいるわけではないけど、チェイスの場合は例外だ。彼のような選手がこのチームにいるのはラッキーだよ」とアトリーを高く評価した[17]。この年は開幕から前年を上回るペースで打っていたが、7月26日のワシントン・ナショナルズ戦でジョン・ラナンから死球を受け右手を骨折[18]、1か月間の欠場に追い込まれる。それでも復帰後はすぐにレギュラーとして出場し、最終的には打率.332(リーグ3位)・OPS.976(同7位)・103打点の好成績を残した。故障離脱がなければ、この年のリーグMVPはチームメイトのジミー・ロリンズではなくアトリーが受賞した可能性もあるほどの活躍で[19]、チームの14年ぶり地区優勝に貢献。しかしポストシーズンでは、大学時代の同僚アトキンスが在籍するコロラド・ロッキーズディビジョンシリーズで敗れた。

2008年4月17日から4月21日にかけて5試合連続本塁打を放ち同月の月間MVPを受賞する上々の滑り出し。前半戦94試合で25本塁打・69打点・OPS.955を記録し、オールスターゲームには、ファン投票でナ・リーグ最多の3,889,602票を集めて選出される[20]。後半戦は65試合で8本塁打・35打点・OPS.855と調子を落としたが、前年を上回る数の死球を浴びても怪我なく1年を乗り切った。チームは2年連続地区優勝。ポストシーズンでフィリーズは、1勝もできずに敗退した前年と異なり、ミルウォーキー・ブルワーズとのディビジョンシリーズを3勝1敗、ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズを4勝1敗、タンパベイ・レイズとのワールドシリーズを4勝1敗と快勝し、28年ぶりにワールドシリーズ優勝を果たした。アトリーはポストシーズンを通して打率.220と低迷したが、全試合で出塁したほか、ワールドシリーズでは2本塁打を放つなど一定の役割を果たした。初のワールドシリーズ優勝を経験したアトリーはシーズン終了後、5月中旬以降ずっと臀部の痛みを我慢しながらプレーしていたことを明かし、11月下旬に手術を受けた[21]

 
一塁カバーに入るアトリー(2009年)

2009年のシーズン開幕に間に合わない可能性もあったが[22]、4月5日の開幕戦で先発出場して復帰。この年も5年連続となるOPS.900超えのほか、自己最高の23盗塁を記録するなど元気な姿を見せた。9月8日の試合では2年連続の30号本塁打を放ち、ハワードやジェイソン・ワースラウル・イバニェスと共に史上12組目の "30発カルテット" を形成している[23]。フィリーズはリーグ2連覇を達成し、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズに進出。そこでアトリーは、初戦でCC・サバシアに2本塁打を浴びせるなど6試合で計5本塁打を放ち、レジー・ジャクソン1977年)が保持するシリーズ最多本塁打記録に並ぶ強打を発揮[24]。しかしフィリーズは2勝4敗で敗れ2年連続でのワールドシリーズ優勝を逃した。

2010年6月28日のシンシナティ・レッズ戦で二塁ベースへ滑り込んだ際に右手親指を痛め、翌日に故障者リスト入り[25]。8月中旬まで1か月半欠場し、この間に開催されたオールスターでもファン投票選出ながら出場を辞退した。それでも9月1日からシーズン最終戦までは29試合で打率.306・OPS.911と活躍し、チームの4年連続地区優勝を支えた。

2011年3月30日に右膝の故障で15日間の故障者リスト入りし[26]、5月22日に復帰[27]。故障の影響もあり、前年まで5年連続で選出されてきたオールスターにも選ばれなかった。この年は103試合に出場し、打率.259・11本塁打・44打点・14盗塁だった。

2012年4月3日に左膝の故障で15日間の故障者リスト入りし[28]、6月27日に復帰[29]。この年は故障の影響で88試合の出場にとどまり(100試合以下の出場は2004年以来)、打率.256・11本塁打・45打点・11盗塁だった。

2013年は3年ぶりに開幕ロースター入りしたが、5月23日に15日間の故障者リスト入りし[30]、6月21日に復帰した[31]。8月8日にはフィリーズと総額2700万ドルの2年契約に合意した[32][33]。7年契約最終年のこの年は131試合に出場し、打率.284・18本塁打・69打点・8盗塁だった。

2014年は前半戦で91試合に出場し、打率.293・8本塁打・46打点と活躍。7月に4年ぶり6回目となるオールスターにファン投票で選出された。

ドジャース時代 編集

2015年は開幕から不振に陥り、4月終了時点で打率.114、5月は月間打率.256と調子を上げたが、6月は再び月間打率1割台と波に乗れず、8月19日にダーネル・スウィーニー英語版ジョン・リッチー英語版のトレードで、ドジャースへ移籍[34][35]。前年オフに同じくフィリーズからドジャースへ移籍したジミー・ロリンズと再び二遊間コンビを組むことになった。ドジャース移籍後も調子は上向かず、2チーム通算で打率.212、OPS.619の成績に終わった。また2004年から継続していた連続二桁本塁打記録も11年で途切れた。

ポストシーズンである10月10日のディビジョンシリーズ第2戦の対メッツ戦にて、メッツが2対1でリードの7回裏ドジャースの攻撃、1死1・3塁の場面でハウィー・ケンドリックのセカンドゴロの際に一塁走者のアトリーが併殺崩しを敢行。結果として併殺は阻止されたが、このプレーでメッツの遊撃手ルーベン・テハダはアトリーに吹き飛ばされ、右足の腓骨骨折で退場、シリーズ絶望の大怪我を負った。このプレーに対し、大リーグ機構は「危険なスライディング」行為をして2試合の出場停止処分を言い渡したが、アトリーが不服としたため処分は保留された。しかし、処分に提訴したアトリーの態度を不服とするファンから同選手を守るための厳戒態勢が敷かれ、アトリーはニューヨークで行われた第3戦以降の試合を欠場した。翌年3月7日にMLB機構が処分を取り下げた。

ケンドリックへ行った危険な併殺崩しはアメリカ球界でも物議を醸し、ペドロ・マルティネスは「もしアトリーに子供達へ二塁への滑り方を教えろと言ったら?彼は今夜のような滑り方を教えるだろうか?」と意味深なコメントした他、ハワード・ジョンソンは「アトリーはいつも汚い選手だった」とストレートに非難した。

シーズン終了後、球団が契約オプションを破棄したため11月7日にFAとなった[36]が、12月9日にドジャースと改めて1年契約を結んだ[37]

先述のポストシーズンにおけるプレーに加え、2015年9月27日に発生した、シカゴ・カブスクリス・コグランによる併殺崩しによってピッツバーグ・パイレーツ姜正浩が左脚の脛骨骨折と靭帯断裂の大怪我を負ったプレーの発生をきっかけとして、2016年2月25日にMLBは、二塁ベース付近で走者が併殺を防ぐためにする危険なスライディングを禁止する新ルール、ボナファイド・スライド・ルールを採用したと発表した。そのルールが通称「チェイス・アトリールール」と呼ばれていることからも、如何にアトリーの併殺崩しの件がアメリカ球界内部で印象的であったかが窺い知れる。

2016年も138試合に出場し、打率.252、と昨年より数字を向上させた。シーズン終了後の11月3日に再びFAとなった[38]

2017年2月18日に1年200万ドルでドジャースと再契約した[39]。7月7日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で通算1000打点を達成した[40]。この年は前年と比べてベンチからの出番が多くなり、出場試合数は11試合しか減っていないが打席数は200以上減少した。打率は昨シーズンより低い.236だったが、出塁率、長打率は昨シーズンを上回った。オフの11月2日にFAとなった[41]

2018年2月17日にドジャースと改めて2年契約を結んだ[42]。7月13日にシーズン終了をもって引退する意向を表明した[43]。9月12日のレッズ戦では、この月から適用開始されたセプテンバー・コールアップを利用してチームがベテランのロースター入りを増やした影響でチャンスを貰い、代打の1人に起用された[44]。オフの11月9日に、2年契約の1年目だったため、ドジャースは契約解除の手続きを取り、11月11日に正式に引退選手として公示された[45]

プレースタイル 編集

走攻守に全力プレーが持ち味の選手で、フィリーズの球団公式サイトはアトリーを "hard-nosed player who treats every play as if it's his last"(あらゆるプレーを、まるでそれが野球人生で最後のプレーであるかのように行う、固い決心を持った選手)と形容している[21]。何事にも一生懸命な姿勢は試合前の入念な準備にも現れており、フィリーズ時代に監督を務めていたチャーリー・マニエルはアトリーを「これまでの野球人生の中で最も準備に余念がない選手」だと評した[8]

打席に立つとまず下半身を揺らし、上半身をリラックスさせる動作をとる[2]。そしてバットを構え、投球が来ると、それを短く(コンタクト後のフォロースルーが小さな)速いスウィングで弾き返す。このスウィングについて、2008年のワールドシリーズで対戦したスコット・カズミアーは「彼は他の左打者と比べても異質だね。大抵の左打者はスウィングの軌道がもっと長いんだけど、彼の場合は短くて速くて、バットがヒッティングゾーンを通過していくのが本当に速い」と話した[46]。そのほか、クリス・ヤングペドロ・フェリシアーノも「速いこと」と「短い(コンパクトな)こと」に言及している[47][48]。このスウィングでアトリーは、毎年打率.300・30本塁打前後の成績を収めている。三振が毎年100近いのが短所である[2]

守備は、UCLAで二塁を守っていたのを観たフィリーズGM補佐(当時)のマイク・アーバックルが「彼は将来は左翼手にコンバートされるかもしれない」という印象を抱いたほど動きが悪く[47]、メジャーに初めて昇格してきたときも守備には不安があった[2]。しかし次第に上達しており、プラス・マイナス・システムという指標では、アトリーは2004年から2006年の3年間で+52(メジャー2位)[49]、2006年から2008年の3年間では+85(同1位)と[50]、優秀な数字を残している。走塁では、2010年までの通算XBT%(単打で2つ以上進塁するか、あるいは二塁打で一塁から生還した割合)が57%と高い数値を残している[51]。盗塁は毎年15-20個ほど決めており、通算成功率は88.1%。2009年には23度盗塁を試みているが失敗は1度もなかった。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2003 PHI 43 152 134 13 32 10 1 2 50 21 2 0 0 1 11 0 6 22 3 .239 .322 .373 .696
2004 94 287 267 36 71 11 2 13 125 57 4 1 1 2 15 1 2 40 6 .266 .308 .468 .776
2005 147 628 543 93 158 39 6 28 293 105 16 3 0 7 69 5 9 109 10 .291 .376 .540 .915
2006 160 739 658 131 203 40 4 32 347 102 15 4 0 4 63 1 14 132 9 .309 .379 .527 .906
2007 132 613 530 104 176 48 5 22 300 103 9 1 1 7 50 1 25 89 7 .332 .410 .566 .976
2008 159 707 607 113 177 41 4 33 325 104 14 2 1 8 64 14 27 104 9 .292 .380 .535 .915
2009 156 687 571 112 161 28 4 31 290 93 23 0 0 4 88 3 24 110 5 .282 .397 .508 .905
2010 115 511 425 75 117 20 2 16 189 65 13 2 0 5 63 3 18 63 4 .275 .387 .445 .832
2011 103 454 398 54 103 21 6 11 169 44 14 0 1 2 39 4 14 47 3 .259 .344 .425 .769
2012 83 362 301 48 77 15 2 11 129 45 11 1 0 6 43 7 12 43 4 .256 .365 .429 .793
2013 131 531 476 73 135 25 6 18 226 69 8 3 0 5 45 4 5 79 12 .284 .348 .475 .823
2014 155 664 589 74 159 36 6 11 240 78 10 1 0 9 53 12 13 85 8 .270 .339 .407 .746
2015 73 282 249 23 54 12 1 5 83 30 3 0 0 7 22 4 4 35 6 .217 .284 .333 .617
LAD 34 141 124 14 25 9 1 3 45 9 1 0 0 1 10 0 6 29 1 .202 .291 .363 .654
'15計 107 423 373 37 79 21 2 8 128 39 4 0 0 8 32 4 10 64 7 .212 .286 .343 .629
2016 138 565 512 79 129 26 3 14 203 52 2 2 1 1 40 1 11 115 0 .252 .319 .396 .716
2017 127 353 309 43 73 20 4 8 125 34 6 1 1 2 32 0 9 57 3 .236 .324 .405 .728
2018 87 187 164 18 35 10 1 1 50 14 3 1 0 1 17 2 5 34 3 .213 .305 .305 .610
MLB:16年 1937 7863 6857 1103 1885 411 58 259 3189 1025 154 22 6 72 724 62 204 1193 93 .275 .358 .465 .823
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績 編集















































2006[52] アメリカ合衆国 4 13 13 0 5 0 0 0 5 2 0 0 0 0 0 0 1 0 .385 .385 .385

年度別守備成績 編集



一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B)




































2003 PHI - 37 65 107 3 31 .983 -
2004 13 94 11 0 6 1.000 50 100 123 4 29 .982 -
2005 8 45 9 1 7 .982 135 296 376 15 72 .978 -
2006 2 15 0 0 0 1.000 156 357 424 18 115 .977 -
2007 1 6 0 0 2 1.000 132 289 372 10 85 .985 -
2008 2 16 2 0 1 1.000 159 340 463 13 102 .984 -
2009 - 155 354 408 12 97 .984 -
2010 - 114 228 347 11 86 .981 -
2011 - 100 208 275 5 48 .990 -
2012 - 81 156 209 7 32 .981 -
2013 - 125 247 317 17 65 .971 -
2014 1 2 0 0 0 1.000 147 292 423 11 87 .985 -
2015 4 19 2 0 2 1.000 62 100 149 6 32 .976 -
LAD 2 12 2 0 0 1.000 26 54 81 2 21 .985 3 1 8 0 0 1.000
'15計 6 31 4 0 2 1.000 88 154 230 8 53 .980 3 1 8 0 0 1.000
2016 - 134 195 266 5 49 .989 1 0 0 0 0 ----
2017 17 83 4 1 7 .989 80 94 131 5 33 .978 -
2018 2 9 0 0 1 1.000 50 51 64 3 9 .975 -
MLB 52 301 30 2 26 .994 1743 3426 4535 147 993 .982 4 1 8 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 26(2003年 - 2018年)

代表歴 編集

脚注 編集

  1. ^ Dodgers Players Weekend nicknames explained MLB.com (英語) (2017年8月25日) 2017年9月17日閲覧
  2. ^ a b c d "Scouting Report: Chase Utley[リンク切れ]," SI.com, 2008年7月1日。 2009年10月17日閲覧。
  3. ^ a b 上田龍 (2006年6月22日). “オールスターの二塁手争い チェイス・アトリーとホセ・カスティーヨ”. スポーツナビ. 2006年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月11日閲覧。
  4. ^ a b “Utley could have been a Dodger”]. The Associated Press. USA TODAY. (2008年10月9日). http://usatoday30.usatoday.com/sports/baseball/2008-10-08-3479275676_x.htm 2015年12月11日閲覧。 
  5. ^ a b 田尻賢誉「30チーム最新レポート&全選手成績・移籍&故障者リスト フィラデルフィア・フィリーズ/PHI 憧れの人と今はチームメイト」『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、80頁、雑誌15509-10。 
  6. ^ Player Bio: Chase Utley”. UCLA OFFICIAL ATHLETIC SITE. CBS Interactive. 2012年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月11日閲覧。
  7. ^ Jim Salisbury (2009年10月6日). “Phils, Rockies have many personal ties”. Philadelphia Inquirer. 2009年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月11日閲覧。
  8. ^ a b Lee Jenkins (2009年10月29日). “Ordinary Utley turns things around with extraordinary power display”. SI.com. Time Inc.. 2010年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月11日閲覧。
  9. ^ John Sickels (2002年6月3日). “Do Phillies have a replacement for Rolen?”. ESPN. 2015年12月11日閲覧。
  10. ^ MLB公式プロフィール"View More Bio Info" 2003 参照。
  11. ^ Apr 4, 2003, Pirates at Phillies Play by Play and Box Score”. Baseball-Reference.com (2003年4月4日). 2015年12月11日閲覧。
  12. ^ Apr 24, 2003, Rockies at Phillies Play by Play and Box Score”. Baseball-Reference.com (2003年4月24日). 2015年12月11日閲覧。
  13. ^ MLB公式プロフィール"View More Bio Info" 2004 参照。
  14. ^ MLB公式プロフィール"View More Bio Info" 2005 参照。
  15. ^ 2006 Rosters” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月3日閲覧。
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関連項目 編集

外部リンク 編集