ティボー・ランシェン

中世フランスの伯爵

ブロワ副伯ティボーThibaud, 854年または890年 - 942/3年)は、906年頃にブロワ副伯、908年トゥール副伯となり、晩年の940年頃より各所領の伯爵となった。ブロワ家の始祖となった人物。ランシェンl'Ancien, 長兄伯)と称された。

ティボー・ランシェン・ド・ブロワ
Thibaud "l'Ancien" de Blois
ブロワ副伯
トゥール副伯
在位 ブロワ副伯:906年頃 - 940年
トゥール副伯:908年 - 940年
ブロワ伯・トゥール伯:940年頃 - 942/3年

出生 854年または890年
死去 942/3年
埋葬 トゥール、サン・マルタン聖堂
配偶者 名前不明の妻
  リシルド・デュ・メーヌ
子女 名前不明の妻の子
ティボー1世
リシルド・デュ・メーヌの子
リシャール
ロシーユ
家名 ブロワ家
テンプレートを表示

経歴 編集

一説によるとティボーがヴァイキングの族長ハスタインを騙してシャルトルを買い上げ、9世紀後半にそこに世襲君主制を樹立したとされ、10世紀初頭には下ロレーヌのほとりに定着したとされる。

またボゾン家アルル伯テオバルド(フランス語版)とその息子でイタリア王となったウーゴ・ダルルスと親族関係にあるブルゴーニュのフランク人貴族の流れであると考えられている。

ノルマンディー公リシャール1世と対抗したブロワ伯ティボー1世の父にあたる。

ティボー・ランシェンは980年の文書によると2回結婚しており、初婚の妻は家系・名前不詳の女性である。長男ティボー1世は最初の妻の子であったとされる。

メーヌ伯ロジェールと西フランク王シャルル2世王女ロティルドの娘リシルド・デュ・メーヌ(リシルド・ド・ブルージュ)と再婚した 。

2人目の妻リシルドは ユーグ大公の初婚の妃ジュディットの姉妹である他、937年から965年の間にブジエール=オー=ダム(英語)女子修道院長であったロティルドの異母姉妹に当たるとされる。

リシルドとの間に以下2子をもうけている。

参照 編集

参考文献 編集