ディランタ・マラガムワ

ディランタ・ランジュラ・バンダーラ・マラガムワ(Dilantha Ranjula Bandara Malagamuwa、1963年6月24日 - )は、スリランカレーシングドライバー

ディランタ・マラガムワ
生誕 (1963-06-24) 1963年6月24日(60歳)
スリランカの旗 スリランカクルネーガラ県
職業 レーシングドライバー
実業家
配偶者 あり
公式サイト 公式サイト
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経歴 編集

レースデビュー 編集

スリランカの北西部州クルネーガラ県クルネーガラで生まれる。16歳の時にオートバイレースでレーシングキャリアがスタート。その後レースで知り合った日本人ドライバーの勧めで1985年に来日し、1987年から日本の2輪ロードレースに参戦する。

4輪レース転向 編集

1989年4輪レースに転向し、ジム・ラッセル・レーシングスクールに留学。初期はツーリングカーレースを中心に実績を積み、1995年に参戦したN1耐久でクラス優勝を果たす。

全日本選手権 編集

 
マカオグランプリ(GTアジア選手権)

1994年の全日本F3選手権最終戦へのスポット参戦を経て、1997年から日本最高峰カテゴリーのフォーミュラ・ニッポン初となるアジア人(日本人を除く)ドライバーとして「SRI LANKA with TEAM LEYJUN」からシリーズ中盤まで参戦。1998年シーズン後半からステラインターナショナルと契約し参戦した。決勝最高位は1997年第5戦SUGOでの10位だった。

1999年からは全日本GT選手権(現スーパーGT)にカテゴリーを移し、GT300クラスに「TEAM TAISAN Jr. with ADVAN」から参戦した。2000年にGT500クラスにステップアップし、自らのチーム「TEAM SRILANKA」からランボルギーニ・カウンタックレプリカモデルである「RGS ミラージュ GT-1」で参戦し、2001年まで参戦した。

2001年8月29日、自ら経営する自動車輸出会社で、不法残留中であることを知りながらスリランカ人2名を就労させた疑いで、入管難民法違反により逮捕された[1]

帰国後 編集

母国スリランカに拠点を移し、デイトナ24時間レースバサースト1000英語版ポルシェ・カレラカップ・アジア選手権、GTアジア選手権などに参戦。ランボルギーニ・スーパートロフェオ・アジア選手権などの国際格式レースに参戦した。

レース戦歴 編集

全日本F3選手権 編集

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1994年 TEAM SRILANKA ダラーラ・F393 SUZ FSW TSU SUZ SEN TOK MIN AID SUG SUZ
17
NC 0

フォーミュラ・ニッポン 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1997年 SRI LANKA with TEAM LEYJUN SUZ
Ret
MIN
11
FSW
14
SUZ
Ret
SUG
10
FSW MIN TRM FSW SUZ NC 0
1998年 STELLAR INTERNATIONAL SUZ MIN FSW TRM SUZ SUG FSW
C
MIN
Ret
FSW
12
SUZ NC 0

全日本GT選手権 編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1999年 TEAM TAISAN Jr. with ADVAN ポルシェ・911 GT300 SUZ FSW
Ret
SUG
Ret
MIN 26位 5
910 RACING FSW
8
TAI
9
TRM
2000年 TEAM SRILANKA ミラージュ・GT-1 GT500 TRM FSW
DNS
SUG
DNQ
FSW
DNS
TAI MIN
DNR
SUZ NC 0
2001年 モスラー・MT900R GT300 TAI
13
FSW
10
SUG
14
FSW
15
TRM SUZ MIN 24位 1

その他 編集

  • 駐日スリランカ・スポーツ大使を務めた。
  • 日本で自動車販売業及び輸出業を営んでいたこともあり、流ちょうな日本語を話す。

脚注 編集

  1. ^ 『Racing On』No.348 ニューズ出版、2001年、p.86。

関連項目 編集

外部リンク 編集