ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)

ディープ・スロート英語: Deep Throat)とは、1972年6月にアメリカで起こったウォーターゲート事件で、事件を調査報道した『ワシントン・ポスト』のボブ・ウッドワード記者に指導する形で情報を示した、当時のニクソン政権内部の重要な情報源の人物の通称である。その正体は長い間不明であったが、事件から33年後の2005年5月に、事件当時FBI副長官だったマーク・フェルトが、自分が「ディープ・スロート」であったことを公表して正体が判明した。

ウォーターゲート事件の経過 編集

ウォーターゲート事件は1972年6月17日深夜に、米大統領選挙の予備選挙のさなかに、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにあったアメリカ民主党本部に、5人の男が盗聴装置を取り付けるために侵入して逮捕されたことから始まった事件で、その後に当時のリチャード・ニクソン大統領の再選委員会の警備主任が犯行に加わっていたことが発覚した。

直後に、水面下でホワイトハウスの大統領補佐官らが、すぐに「もみ消し工作」を行い、ニクソン大統領は事件の6日後に、このもみ消し工作を承認した。当初は事件の詳細がつかめず、「三流のコソ泥事件」とされて、同年11月の大統領選挙には何ら影響せず、ニクソン大統領が再選を果たした。この間もマスメディアも事件への関心は薄く、唯一『ワシントン・ポスト』のみが事件の報道を続けていた。

しかし翌年の1973年3月に、侵入犯のマッコードが証言でニクソン再選委員会及びニクソン政権側近が関与していると暴露し、その後に数々の不正の発覚や、もみ消しを否定したニクソン大統領への疑惑が拡大して、やがて大統領執務室での会話を録音したテープの存在が明らかになった。

このテープの提出を巡る、大統領側とアメリカ合衆国議会・特別検察官側との攻防が続き、特別検察官の解任、司法長官及び次官の辞任、最後には大統領のが録音テープから明らかになって、アメリカ合衆国下院で大統領弾劾の発議がされて、1974年8月9日にニクソンはアメリカ合衆国大統領の辞任に追い込まれた(ただし、下院本会議での弾劾決議が出る前にニクソンは辞職し、アメリカ合衆国上院での弾劾裁判は開始されていない)。

ワシントンポストの報道 編集

当初、この事件は単なる「盗聴騒ぎ」としてそれほどには注目されていなかった。そのなかで『ワシントン・ポスト』のウッドワードとカール・バーンスタインは事件発覚の日から取材を続けていた。やがて取材に行き詰まったウッドワードは、3年前の海軍在籍時に親しくなった[1]「政権内部の重要人物」に接触を求め、1972年10月の深夜にワシントンのポトマック河畔のある駐車場で面会し、事件の真相について尋ねたことが「ディープ・スロート」の発端である。

ウッドワードはこの重要な取材源を隠すことに最大限の注意を払い、彼

(カール・バーンスタイン???)

も自らの話を記事にしないことをウッドワードに約束させて、ウッドワードとの話に応じた。ただし、後にウッドワードが述べているように、一般的に政権内部のことについての情報を提供したことはなく、「政権内部の重要人物」はウッドワードの問いかけに具体的に答えることはせず、どこに行けばそれに関した重要な情報が得られるか、そのことを伝えていた。ウッドワードはやがてこの「政権内部の重要人物」からの情報を柱に違う角度からの記事を書いていった。ウッドワードとバーンスタインは、事件の情報源となったホワイトハウスの内部深くを知る匿名の密告者を「ディープ・バックグラウンド」という仮名で呼んでいたが、事件が起こった1972年1月に公開され、大ヒットしたポルノ映画ディープ・スロート』から、当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長ハワード・サイモン英語版が、冗談を込めてこの呼び名を使うようになった。

「ディープ・スロート」は厳密には内部告発を行なったわけではなく、世間に対して自ら何かを訴えたわけでも、情報を自分で漏らしたわけでもない。情報を入手して世間に明かしたのは、『ワシントン・ポスト』の2人の記者である。具体的に「ディープ・スロート」が行ったのは、情報を得る方法を記者達に示唆したことである。「ここに情報がある」という風に直接的に情報を示すかわりに、「こういう情報を探せ」という様な道筋をおおまかに示した。具体的に道筋を見つけたのは、あくまでも記者たちの仕事だった。

その後、ウッドワードが取材し見つけたものに対して、「ディープ・スロート」は「それではまだ不足だ。もっと探せ」とか、「同じ種類の情報をもっと探せ。二重チェックせよ」などと言い、あるいは「それでいい」と合格点を与えることもあった。「ディープ・スロート」は、どのような情報があるかを明らかに知っていたことになるが、自分で直接教えることはしていないため、秘密漏洩をしたわけではない。

ディープ・スロートの正体 編集

 
マーク・フェルト

「ディープ・スロート」が誰なのかは、長い間謎であった。一般には「ディープ・スロート」は、ウォーターゲート事件の真相を知っていたが、何らかの理由で自ら告発者となることが出来なかったと考えられた。ニクソン政権幹部で、事件の隠蔽工作を行ったとされるフレッド・ラルーや、ジョージ・H・W・ブッシュヘンリー・キッシンジャーらの名が噂された。

また、レン・コロドニーとロバート・ゲトリンの著書『静かなるクーデター』(新潮社ISBN 978-4105265014)では、ペンタゴンからニクソン政権に送り込まれた大統領特別補佐官アレクサンダー・ヘイグ准将以外ありえないと論じられた[2]

そして2005年5月31日、事件当時のFBI副長官だったマーク・フェルトが自分が「ディープ・スロート」であったことを、雑誌『ヴァニティ・フェア』の記事をきっかけとして、公表した。

『ワシントン・ポスト』で、ウォーターゲート事件を取材したウッドワードも、フェルトが「ディープ・スロート」であったことを認め、ウッドワードはその年のに、内幕を明かした『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(伏見威蕃訳、文藝春秋、2005年10月 ISBN 978-4163675800)を刊行した。

フェルトは2008年12月18日、カリフォルニア州サンタローザ市内の自宅で95歳で死去した。

ただし、1972年10月にウッドワードとフェルトが初めて「密会」してから数日をおかずに、ワシントン・ポストに情報を入れたのはマーク・フェルトだったとハリー・ロビンス・ハルデマン補佐官がニクソンに報告している。この報告の時期と内容は、後に大統領執務室の録音テープから明らかになったことである。

後にウッドワードは、その著作の中で「ハルデマンからニクソンへの報告の情報源」は、ワシントン・ポスト内の誰かであったと書いている[3]

行為に対する評価 編集

「ディープ・スロート」の正体がマーク・フェルトであったことが2005年に明らかになると、政権幹部としてその行為への様々な評価が交錯した。

元上院議員のマイク・グラベルは「彼は英雄であり、自由勲章を与えられるべきだ」と告発を称賛した。一方、ニクソンのスピーチライターでもあったパトリック・ブキャナンは「彼が30年以上隠し通してきたのは、自分の行為を恥じているからだ」と非難した。43代大統領ジョージ・W・ブッシュは、マーク・フェルトの評価について「判断するのは難しい」と述べた。

動機の一つに、フェルトのFBI長官昇進問題への個人的な不満があったとされる点も、評価が分かれる一因とみられる。

映画化・テレビ化 編集

映画監督アンドリュー・フレミングは、「ディープ・スロートの正体はわずか15歳の2人の女子学生であった」とする大胆な設定のコメディー映画『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(1999年。キルスティン・ダンストミシェル・ウィリアムズ主演)を製作した。

コミック『ウォッチメン』においてアラン・ムーアは、ニクソンに送り込まれたヒーロー「コメディアン」によってウォーターゲート事件は隠匿され、結果ニクソンが大統領の座に座り続けたとする歴史改変を行っている。ゲーム版においてはこの一件が中心となっており、ディープ・スロートことフェルト、およびワシントン・ポストの記者ウッドワードとバーンスタインらが殺害されるに至った経緯が描かれる。

テレビドラマ『X-ファイル』に登場する情報提供者の名も同じディープ・スロートで、設定はウォーターゲート事件で『ワシントン・ポスト』に情報提供した人物とされている。

2017年の映画『ザ・シークレットマン』はフェルトを主人公として、FBIの側からウォーターゲート事件を描いた作品となっている。フェルト役を演じたのはリーアム・ニーソン

PlayStationのゲーム『メタルギアソリッド』ではグレイ・フォックスが正体を隠してソリッド・スネークに無線で助言した際にディープ・スロートと名乗っており、スネークがウォーターゲート事件に言及している。

脚注 編集

  1. ^ ホワイトハウスに書類を逓送する役目の時にたまたま同席していた。
  2. ^ 立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』文藝春秋、1995年、233頁
  3. ^ ウッドワードの当時の著作では、情報源について、キャサリン・グレアム社主に対して名前を明かさず地位だけを知らせただけであった。この情報は社主からの要請で行われたが、時期はもっと後であった。

外部リンク 編集