デイヴィッド・ハルバースタム

デイヴィッド・ハルバースタムDavid Halberstam, 1934年4月10日 - 2007年4月23日)はアメリカ合衆国ジャーナリストベトナム戦争の報道で知られ、ピューリッツァー賞受賞者である。

デイヴィッド・ハルバースタム (1978年)

プロフィール 編集

地方紙記者 編集

1934年にニューヨークで生まれた。ブロンクスユダヤ系アメリカ人として育った[1]。両親はそれぞれ医師と教師を務めていた。1955年ハーバード大学のジャーナリズム専攻を卒業後、ミシシッピ州ウエストポイントの地方紙で記者として働いた。第二次世界大戦後の1950年代から1960年代の初期にかけて高まっていた公民権運動の取材などをおこなっている。

ベトナム戦争 編集

その後ニューヨーク・タイムズの記者として南ベトナムに赴き、15ヵ月間ベトナム戦争介入初期の取材をおこなった。ハルバースタムのベトナムからのレポートの多くが、ジョン・F・ケネディ大統領が推し進めたベトナム戦争への介入政策拡大に反対するものだったため、ケネディ大統領はハルバースタムの配置変えを求めたともいわれる。1964年にベトナムを巡る報道によりピューリッツァー賞を受賞した。『ベトナムの泥沼から』でベトナム戦争に「泥沼」(Quagmire)という代名詞を定着させた。

ハルバースタムはアメリカをベトナム戦争に導くことになったケネディと、ケネディ政権の副大統領を務め、ケネディの政策を継いでベトナム戦争を拡大したリンドン・ジョンソン政権の政治エリート達を中心に描いた『ベスト・アンド・ブライテスト』でその名声を不動のものにした。ハルバースタムの作風は、事実を淡々と書くボブ・ウッドワードの作風とは対照的である。読者の注意をわしづかみにする導入や逸話の挿入、刺激的な語句の使用とドラマチックな展開は彼の著作を他のジャーナリストのそれから際だたせるものとなっている。

結婚 編集

1960年代末に当時のポーランドの共産主義政権から国外退去処分を受けると、妻でポーランド人映画女優のエルジュビエータ(エリザベス)・チジェフスカ(チジェフスカはポーランド人映画監督のイエジー・スコリモフスキ離婚後、当時ニューヨーク・タイムズワルシャワ特派員だったハルバースタムと1965年にワルシャワで再婚)と共にニューヨークへ戻る[1]

様々な著作 編集

その後ハルバースタムはさまざまなテーマに積極的に取り組む。好景気に沸く1950年代のアメリカの姿をあらゆる角度から追った『ザ・フィフティーズ』や日米の自動車産業の興隆と衰退を追った『覇者の驕り』、アメリカの4つの巨大メディアグループの歴史を追った『メディアの権力』など傑作が多い。

またハルバースタムはスポーツジャーナリストとしても知られており、マイケル・ジョーダンメジャーリーグベースボール(MLB)について書いた著作がある。来日経験もあり、日本外国特派員協会で会見を行っている。

死去 編集

2007年4月23日カリフォルニア州メンローパーク自動車事故により死去。73歳だった。朝鮮戦争に関する著書『The Coldest Winter』を完成した直後だった。死の直前までイラク戦争についての著作を執筆すべく取材を精力的に続けていたという。

著作 編集

『鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情。』 鈴木亜希子訳、不空社, 2004年
日本向け書き下ろし
  • 『アメリカ&ジャパン―成功の代償』 斎田一路訳、サイマル出版会、1987年
  • 『戦争ゲーム』 筑紫哲也訳、講談社, 1991年/講談社文庫, 1992年
  • 『幻想の超大国―アメリカの世紀の終わりに』 狩野秀之訳、講談社, 1993年/講談社文庫, 1994年

脚注 編集

  1. ^ David HalberstamThe New Yorker, May 7, 2007 I

関連項目 編集