デルビ(Derbi)は、スペインの Nacional Motor S.A.U.社が製造するオートバイスクーターATVのブランド名 。現在同社はピアッジオの子会社となっている。なお記事中では、社名も通称の「デルビ」で呼称する。

デルビ
種類
子会社
設立 1922年
創業者 Simón Rabasa i Singla
解散 2018年 ウィキデータを編集
本社
製品 オートバイ、スクーター、ATV
親会社 イタリアの旗 ピアッジオ
ウェブサイト www.derbi.com

同社のスローガンは、Mucho + k Moto (Mucho màs que moto/ Much more than motorcycling)。

デルビの歴史 編集

デルビの原点は、1922年に創業者の Simón Rabasa i Singla がバルセロナ近郊の Mollet del Vallès という村で開業した自転車屋に始まる[1]。当初は自転車の修理とレンタルを生業にしていたが、1944年に "Bicicletas Rabas" という名前の有限会社を立ち上げ、自転車の製造に乗り出した[1]。1946年には利益を元手にエンジン付きの車両の製造を始めた[1]。オートバイと言うよりはモペッドに近いこの初代モデル "SRS" は、48ccのエンジン、プランジャー式サスペンション、オートバイタイプのガソリンタンク、エギゾーストシステムを搭載していた[1]。会社はオートバイに事業の中心を移し、1950年11月7日には社名を "Nacional Motor SA" に改めた[1]。またこの年の夏にバルセロナでおこなわれた見本市では、同社初の本格的オートバイ "Derbi 250" を披露した[1]

近年の動向 編集

 
デルビ・GP1 (2005年モデル)

オッサ[2]ブルタコ[3]モンテッサ[4]など他のスペインのオートバイメーカーと異なり、デルビはスペイン民主化、EC加盟という激動の時代を乗り切ることに成功した。1988年に創業者の Simón Rabasa i Singla が亡くなった後も独立を保っていたが、2001年にピアッジオグループに買収され、傘下の子会社となった。

モータースポーツとの関わり 編集

デルビは1962年よりロードレース世界選手権に参戦を開始した。1969年に50ccクラスでスペインのアンヘル・ニエトのライディングにより初のチャンピオン(ライダー・マニュファクチャラー両方)を獲得した。ニエトはデルビを駆って合計5回 (50ccクラス3回、125ccクラス2回、1972年は両クラス同時)のライダーズチャンピオンを獲得した。1980年代には同じくスペインのホルヘ・マルチネスが活躍し、80ccで3回、125ccで1回ワールドチャンピオンに輝いた(1988年に両クラス同時チャンピオンを達成)。

その後GPからは一時撤退していたが、1999年に125ccクラスに復帰を果たす。日本の宇井陽一がエースライダーとして開発を務め、翌2000年には5勝を挙げてシリーズ2位に入った。

デルビはその後も125ccクラスに参戦を継続し、2008年にはフランスのマイク・ディ・メッリオがチャンピオンを獲得した。ただし現在はピアッジオ傘下に入った関係上、グループ企業のアプリリアジレラと実質的には同じマシンを使用している。

デルビの語源 編集

デルビ ( Derbi )は、"DERivados de BIcicletas" ( derivatives of bicycles )の頭字語である[1]

現行モデル 編集

 
MULHACEN 125
  • スクーター
    • Rambla 250i
    • GP1 250i
    • GP1 125
    • GP1 50 OPEN
  • ロードレーサー
    • GPR 125 4T4V RACING
    • GPR 50 RACING
  • トレイルバイク
    • TRAIL TERRA 125
  • モタード
    • SM DRD 50
  • スクランブラー
    • MULHACEN 125

※日本の正規代理店が取り扱っているもののみ抜粋

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g Walker, Mick (1986). Spanish Post-war Road and Racing Motorcycles. London: Osprey Publishing Ltd. ISBN 0-85045-705-X 
  2. ^ 1979年、ブルタコと合併、1982年工場閉鎖。
  3. ^ 1983年廃業。
  4. ^ 1981年、ホンダが負債を買い取る形で買収。

外部リンク 編集